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ニコラウス・アーノンクールさん追悼〜2016年振り返り

 今回は2016年にきいたディスクから印象に残ったものからー何といってもショックなのがニコラウス・アーノンクールさんの逝去です(3月5日)未だにそれを引きずっていて、このブログで何度か追悼の投稿しようとしましたが、思い止まっていました。  私が音楽をきき始めた90年代、NHK−FMの海外コンサートでウィーン・コンツェントゥス・ムジクスからベルリン・フィルやウィーン・フィル、コンセルトヘボウ・オーケストラ、ヨーロッパ室内管弦楽団などに客演したものがよく放送されていて、それらをエア・チェックしてきいていました。まだろくに音楽をきく耳を持たなかったにも関わらず、目を覚まさせるような響きをコーフンしてきいたことを思い出します。 ハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェン〜シューベルトの古典派からロマン派の楽曲はそれらの演奏で刷り込まれたといっても過言ではないです。そのために今でも他の演奏をきくと物足りないことを感じるこがありますが、、、 残っているエア・チェックの中でも最後の来日公演となったバッハのロ短調ミサ曲の素晴らしさ!実演をきいてみたくも叶えられなかった残念な思い出と共にあります。  ディスクではここ数年、減少傾向を辿るこの業界にあっても意欲的に新録音を発表出来たのは珍しい事ではないでしょうか? モーツァルトの後期三大シンフォニー、ヘンデル=モーツァルト編曲のオラトリオ、ラン・ランとのモーツァルトのピアノ・コンチェルト・・・もっともこれはソリストの人選ミスという演奏でしたが・・・ また、このブログでもアップしたモーツァルトの「ポストホルン・セレナード」と「ハフナー・シンフォニー」ーそして追悼盤になってしまったベートーヴェンの第4番と第5番シンフォニーにミサ・ソレムニス  高齢な指揮者が陥るようなルーティンワークにならずー彼の場合はそんな事は想像できなかったですがーでも、神から自分に与えられている年月を知っていたのか、レパートリーは本当にやりたいものに絞ってー彼には珍しくよく知られた作品の再録音が多かった事は、解釈への自信と手兵コンツェントゥス・ムジクスと音楽を創り出す時間を楽しんでいたようにも思われますが、それにアーノンクールというアーティストが一時期のキワモノ扱いから、巨匠扱いの指揮者になってワガママを言える身分になった事もあるのではないでしょうか?

ショスタコーヴィチ 交響曲全曲完聴記(その11)

ショスタコーヴィチの交響曲完聴記、ついに第15番となりました。 交響曲第15番 イ長調 作品141は1971年にわずか2カ月、それも心臓を悪くしていた病床で完成されました。初演は翌年1月に息子のマクシムの指揮によって成されました。 第1楽章  作曲者は「死」を意識して書いたと思われますが、実にひょうげています。ロッシーニの「ウィリアム・テル」の引用にはじまり、マーラーの交響曲の行進曲をパロディにしているのではないか? 最後の交響曲とはいえ、マーラーの交響曲第9番よりもショスタコーヴィチの交響曲第9番の精神を感じます。 第2楽章  金管楽器のコラール風のメロディーが追悼のようで、それに続くチェロのソロも暗い。そこに応答するフルートが登場ー次第に葬送行進曲を思わせる空気のなか、突然、感情の爆発みたいな、怒りともとれそうな全楽器による死の入口を見せるかのようなクライマックス!その入口が静かに閉じるようにして終わりに向かっていきます。 第3楽章  ショスタコーヴィチ流の諧謔味にどことなく死臭が漂うアレグレット。ヴァイオリン・コンチェルト、シンフォニア・コンチェルタンテを思わせる軽さがあり、ここでも第9番交響曲との類似性を感じます。 第4楽章  いきなりワーグナーからの引用による金管合奏ーしかし直ぐに弦楽合奏を中心とした流れるメロディーが始まります。まるでセレナードのようなーシンプルでありながらも「音楽」を感じさせる場面であります。 この延々と続く(多少の入れ替わりや変化もありますが)音楽からは死を先送りにしたいショスタコーヴィチの姿も見えてくるような、、、 でも中間部で運命の時が迫るようにして、第15番の交響曲では滅多に使用しないトッティが炸裂します。 終わりに近づくと木製打楽器部隊による合奏は死へ向かって行進曲を続けていきますーついにショスタコーヴィチ自身も交響曲にもピリオドを打つかのようにして、遥か遠くに消えて全曲を閉じます。 そこには何ともいえない寂しさ、空虚さが残ります。 楽器編成はそれなりに大きいものの、全奏でバリバリやるところが極めて少ないので室内楽的な印象を受けます。枯淡の表情をした、そう!ベートーヴェンの第16番イ長調のカルテットにも共通するシンプルな顔つきをして奥深い響きを持った枯山水庭園みたいなシンフォニー。 演奏して

ショスタコーヴィチ 交響曲全曲完聴記(その10)

ショスタコーヴィチの交響曲全曲をきいていく企画もいよいよ残り2曲、演奏はルドルフ・バルシャイ指揮のWDR(ケルン)交響楽団です。 ソリストはソプラノがアラ・シモーニ、バスがヴラディーミル・ヴァネエフ、コーラスがモスクワ合唱アカデミーとケルン放送合唱団です。 第14番 ト短調 作品135 「死者の歌」 1969年に作曲、初演されたこの交響曲、初演者はバルシャイ指揮のモスクワ室内管弦楽団でした。また、この曲には不思議なエピソードがあって、リハーサルに臨席していた共産党幹部のアポストロフが心臓発作で倒れて病院に搬送されたもの、一月後に死んでしまった。アポストロフはジダーノフ批判の時、さかんにショスタコーヴィチを批判した人だったらしく、祟られたのでは?と噂されたらしいです。 曲は2人の独唱者とコーラス、オーケストラは弦楽器と打楽器のみで、管楽器を含まないという特殊な編成で、楽章数も11もありながら演奏時間は約50分のオーケストラ伴奏付き歌曲集といった顔つきをした交響曲です。 歌詞は前作と異なりちゃんとした⁉︎ロシア、フランスやドイツなどの詩人のテキストに付曲しています。 第1楽章 「深いところから」  テキスト  ガルシア・ロルカ(スペイン) 冒頭から寂寥感があり冷え冷えとした感覚が素晴らしい。その不安定で血の通わない空気感がまるでこの交響曲の序奏・導入部になっているかのようです。 第2楽章 「マラゲーニャ」 テキスト  ロルカ バルトークにも似た乾いたアレグレットのリズム。スペイン人のロルカの詩に付曲していることもあってかカスタネットが鳴り響く。しかし、それはラテンの陽気さではなくて死の舞踏であることが印象付けられます。 第3楽章 「ローレライ」  テキスト  ギョーム・アポリネール(フランス) あの流れるような民謡ローレライではなくて死臭の漂う二重唱。 第4楽章  「自殺」   テキスト  アポリネール 独奏チェロ、シロフォン、チェレスタの音色が恐ろしさと同時に美しさを感じる音楽で、作品の中でも印象に残る楽章です。 第5楽章 「心して」  テキスト  アポリネール 前楽章からアタッカで始まりますが、ズドンコズドンコとというリズムが特徴的です。マーラーを思わせるこっけいでありながら悲しさもある行進曲で、出征し戦死した弟を想う姉の歌で