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今週の1曲(3)~ショパン:チェロ・ソナタ

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810~1849)の代表作といえばピアノ独奏曲が質・量ともに他分野を圧倒していますが、彼のラストコンサートでも演奏されたという唯一の  チェロ・ソナタト短調作品65  は長生きしなかった晩年らしい影がさして、カーブが連続した道のような曲想で特にというか、当然というかピアノ・パートにはテクニックが必要とされます。でも、彼の曲が好きな人は一回きけば気に入るのでは?と思います。 曲の成立には初演を担当し献呈もされた大親友オーギュスト・フランショームの存在があり、病気の悪化、ジョルジュ=サンドとの別れといった1845年から1847年に書かれています。4つの楽章から出来ており、第1楽章がアレグロ・モデラート、目標を明確に見いだせずにさまよっているみたいで、ちょっと私はショパンらしからぬと感じます(構成が貧弱とかという悪い意味ではなく) 次はスケルツォ、アレグロ・コン・ブリオの躍動的な第2楽章。シンプルな音楽なのですが両者の張り合うような緊張感が魅力です。 第3楽章はラルゴ。チェロとピアノのハーモニーがとても瞑想的にノクターン(夜想曲)を連想させます。そして、2つの楽章の絡み合いが男女のようです。 第4楽章フィナーレ、アレグロ―2つの楽器が対話を繰り返しながら盛り上がっていく終楽章。その中でも気品が香ってくる音楽になっています。 このソナタは上品でサロン音楽的なショパンの作風からすると異質なところを感じます。曲全体をなんというか「情念」みたいな影が覆い、私はあまり「作曲家がこうゆう心理状態だったから、こんな曲を書いた・・云々」の考えできく事はほとんどないのですが、ショパンが自身の病気(結核だったそうで、相当な偏見や扱いを受けたこともあるでしょう。。。)を呪い、その境遇にもがき苦しんでいる姿が伝わってくるようです。。 初演時には第1楽章を技術的な問題からという理由でカットしたそうですが、それだけでは無くてそういった心情告白みたいなものが赤裸々に出過ぎているように感じるこの楽章は演奏し、聴衆にきかせるのはちょっとシンドイと考慮したのではないでしょうか? でもそんな暗い影ばっかりではなくて終楽章のチェロとピアノの掛け合いをきくとフランショームという親友が病床のショパンを変わりなく見舞い、作曲の背中を押してくれたことへの感謝だと

今週の1曲(2)~メンデルスゾーン:交響曲第1番

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・芸術家にとって「経済的に恵まれた生活環境」というのは創作活動へ多大な影響を与えるのでしょうか? ・ハングリー精神があった方が豊かな創造力や霊感の源になって芸術作品を後世に残すことが出来るのでしょうか? と冒頭から書いたのは本日ご紹介する作曲家、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809~1847)の作品をきく上で大いに関連する事じゃないかと思うのです。 伝記などを読むとバッハもモーツァルトもベートーヴェン、シューベルトも現在大作曲家と言われている人はいつも懐が寒い生活をしていたそうです。でも中には大金を手にしたヘンデル、ハイドン。そして生まれながらにしてお金持ちだったメンデルスゾーン!(ユダヤ人大富豪の家庭に生まれた彼は年少より勉強はもちろん、絵画・音楽など様々な英才教育を受けたとのこと) でも、現在の音楽ファン、評論家の中での評価を見ると金持ち作曲家よりもビンボー作曲家の方が人気があるように思われます。それはなぜか?やっぱり「ハングリー精神」こそが創造源になっているからではないでしょうか?常に挑戦しようとするベートーヴェンのモットー「苦悩を通じて歓喜へ」の訴求力に比べて、そんなことを考えなくても生活が満たされてるメンデルスゾーンの作品はどれも美しく、耳あたりが良い、ベートーヴェンのように怒り、恐れ、苦しむといったものは全く感じられず、いわば「金持ちケンカせず」みたいな音楽になっていると思います。 その「チョー恵まれ人間」メンデルスゾーンが15歳の1824年に書いた 交響曲第1番ハ短調作品11 をご紹介します。彼のシンフォニーと言えば第4番「イタリア」、あと第3番「スコットランド」と第5番「宗教改革」あたりが演奏される機会も多いですが、第2番「賛歌」が声楽を含むカンタータ風の特殊な作品であることを除くと5曲あるシンフォニー中ほとんど耳にする機会が無いと思われます。 メンデルスゾーンは15歳で第1番を書く前に12曲の「弦楽によるシンフォニー」を作曲しており、この第1番には当初その第13番という番号が付けられていました。しかし、出版社がそれまで書かれていた12曲の「弦楽によるシンフォニー」は習作扱いとして発行しないでフルオーケストラで書かれたこの曲から「第1番」という番号が与えました。確かにそれまでの12曲がハイドン、モーツァルトの頃