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9月, 2014の投稿を表示しています

チケット購入 松本交響楽団 第72回定期演奏会

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本日、松本交響楽団 第72回定期演奏会のチケットを購入してきました。   【プログラム】 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61 ・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 開演:14:00 ザ・ハーモニーホール(松本音楽文化ホール) *今回の演奏会は天満さんをソリストに迎えてのべートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが注目されるプログラムです。

クリストファー・ホグウッドさん追悼~モーツァルト:交響曲全集完聴記(その1)

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去る9月24日に クリストファー・ホグウッド さんが亡くなりました。 70年代~080年代を中心にオワゾールというレーベルに数多くの録音を残して古楽器演奏というジャンルを学者の研究対象から一般の音楽ファンの鑑賞対象にしたことに大きな貢献があり「オリジナル楽器界のカラヤン」といったような比喩をきいたような気がしますが、まさにその通りだと思います。 ちょうど先日よりホグウッドと自身が組織したアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)と78年から86年にかけて録音したモーツァルトの交響曲全集を少しずつきき始めてきいたところでした。 モーツァルトの交響曲は全41曲という常識を覆した彼らの代表的なディスクといえるもので、その収録曲数は全71曲!CDも19枚にも及びます。まだ音楽業界も体力があった時代だから実現できたもので、それから30年が経過してもこの企画を演奏の質はおいておいても、量的には現在も凌駕されていないのではないでしょうか? 今回、彼の死を機にモーツァルトの交響曲全集をきいていき、その試聴記録として投稿していきたいと思います。しかし、ディスクを次々にきいていく習慣がないので全曲をきき終わるのにいつまでかかるか見込みはありませんがよろしくお願いします。 このディスクは番号付きの作品だけでなく、オペラの序曲から断片、果ては出所のアヤシイ偽作(疑作)説のある曲までも網羅し、偏執的なくらいで、多少上げ底気味な感はありますが全部で71曲になっています。 CDは番号順(作曲年代順)に収録されていないため―今回、廉価盤のセットとしてきいている19枚は当初発売された時はそれなりに考えられていた組み合わせであったのに対して、収録時間重視でかなりバラバラな順番になってしまっています・・・(完聴記ではCDの収録順にきいていく予定です) なおかつ、収録年データや曲名も簡略化されていてジャケットもそっけないものになっているのが残念です。。。廉価盤だからといわれればそれまでですが・・・。 また、この演奏はクリストファー・ホグウッドはコンティヌオ(通奏低音)としてチェンバロを担当してコンサート・マスターのヤープ・シュレーダーがリーダーを務めている。つまり音楽解釈は前者、演奏現場の監督は後者というような手法で録音したそうなのですが、イマ

今週の1曲(27)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番

先日、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番K.515をご紹介した際に、この分野における「ジュピター・シンフォニー」のような作品で、第40番ト短調シンフォニーに比べられるのが第4番ト短調K.516であると申し上げました。なので第3番をご紹介しておいてこちらも傑作である第4番をご紹介しないのはもったいないので今週は モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516 です。 彼の記録していた作品目録によると、第3番完成後の約1か月後、1787年5月16日に完成したと記されているそうです。 第3番が堂々たる構成力で外に放射する力に満ち溢れている音楽に対して、この曲はとってもで内向的でジックリ向かい合いたい曲です。 第1楽章アレグロは焦りを煽るようなリズムと痛切な哀しみを伴うメロディーでインパクトがあり、激しさ、厳しさが伝わってきます。 第2楽章はうつろな感じのメヌエットで、そこには舞曲から連想する愉しみはありません。トリオでは一瞬、天使が舞ふ牧歌的な風景が見えますが、それを断ち切るようにメヌエットが戻ってきます。 第3楽章、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。ここでやっと安らぎをもたらす宗教音楽のような浄化された音楽がきかれます。モーツァルトの書いた緩徐楽章でも最高クラスに入るでしょう。 終楽章は絶望してヨタヨタ歩く人間を想像するアダージョの序奏から開始されます。そこから主要部のアレグロへと続いていきます。明るいロンドなのですが、心ここにあらず、というか目に涙を溜めながら「泣き踊り」をしているみたいで、第3番にあった充実感・高揚感は存在せず、虚無感が漂っています。 モーツァルトの音楽は明るく、楽しく、美しい―もっといえばクラシック音楽は心を清らかにして癒すものとして気楽にきくものと思い込んでいる人にきいて欲しい。 クラシック音楽はそんなものではないと感じるはハズ。 ききてはクラシック音楽から発見や関心、驚き、恐怖=デモーニッシュなもの、時には怒りや反感を受容できなければならないと思います。またそういった音楽でなければ面白くもないし、それを理解できていない演奏家もまっぴらごめんです。 既に「絶滅危惧種」「死に体」ともいえるクラシック音楽と付き合っている奇特な人種なのですから ―それくらいの心がけできくべきだと思いま す。 《Disc》 これも