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年末棚ざらえ~2014年にきいたディスクから

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今週は12月最終週ですので2014年にきいたディスクからこのブログで紹介しきれなかったものを取り上げつつ今年を振り返りたいと思います。 ⊡J.S.バッハ:フーガの技法    ピアノ:アンジェラ・ヒューイット バッハの最高傑作のひとつといわれながらも曲順・構成、作曲年代、果ては演奏する楽器指定もない謎々だらけで、この作品を手掛けるのは演奏家にとってもかなり手強く、またやりがいのある仕事であることは間違いないと思いますが、バッハの鍵盤楽器による作品をたくさん弾いてきたカナダ出身のピアニスト、ヒューイットがいよいよこの曲を録音しました。   さすがに今までバッハの作品を弾いてきただけあって、ポリフォニックな旋律の動きに精緻な表現と、作品に必要なものを全て兼ね備えた演奏です。しかも、近年流行の学究的な方向へ傾斜せずに知性的で品位、そして数々の舞台に立ってきた経験値が結合して「ヒューイットのバッハ」として作品をきかせてくれます。 そう思いながらきいていると、確かにその通りと納得して感心したり、ムム??そうなるの?と疑問に思ったり、あまりにもロマンティックすぎやしないかしら?と戸惑ったり、後半にかけて―ヒューイットはBWV番号順にコンプラプクントゥス1~13、4曲のカノン、コンプラプクントゥス14という順に、ただしBWV.18「2台のクラヴィーアのためのカノン」は除き弾いています―曲が難しくなっていっても「この曲はこんなに難解ですよ!」という演奏者の叫び?悲痛?がきこえてくるわけではなく、淡々と曲が進んでいきます。そういった解釈によりかえって邪魔にならずに、このとても長くて超難解な作品をきき通すのに役立っていると思います。 ⊡ ハイドン:弦楽四重奏曲集    「太陽四重奏曲 」 Op.20(全曲)    「ロシア四重奏曲」 Op.33(全曲)    「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」 Op.51    「第2トスト四重奏曲」 Op.64(全曲)    「エルデーディ四重奏曲 」 Op.76(全曲)    「ロプコヴィツ四重奏曲」 Op.77(全曲)    演奏:モザイク弦楽四重奏団 新しい録音ではありませんが、1985年にウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーにより結成されたモザイク弦楽四重奏団、

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その8)

ホグウッド/シュレーダー&アカデミー・オブ・エンシェントミュージックのモーツァルトの交響曲全集の完聴シリーズの第8回めです。 CD6 交響曲 第20番 ニ長調 K.133 第1楽章から颯爽として表現豊かな音楽です。朝の目覚めの清々しさ―「いっちょ今日もやってやるぞ!」という気分にさせてくれて、生命力・自身がわいてきます。 第2楽章、弦楽器にフルートのオブリガートという特徴的なもので、とても印象的な柔らかな肌触りの音楽になっています。 第3楽章は定石通りのメヌエットになっているのですが、きき所はトリオのひなびた音楽で、田舎の楽師たちが村の一隅で演奏しているようなユーモア感が伝わってきます。手回しオルガン=ハーディ・ガーディを模したようなメロディーもきこえてきます。 終楽章はしっかりと書き込まれ堂々とした存在感があります。初期のシンフォニーをきいていた時として感じた「やっとここまで書き上げた」という仕事としての音楽ではなくて、心から湧き出て来たように感じられる楽想が心地よいです。 弦楽器の陰で様々なフレーズを管楽器に与えているところは後のシンフォニーを思わせます。 ★★★★ 交響曲 第21番 イ長調 K.134 楽器編成がオーボエでなく、フルートが入っているせいか柔らかな耳触りで膨らんでいく様な感じでとてもポエジーな音楽です。第2楽章はアンダンテでありながら弦楽器が細かく躍動的な動きをきかせる低~中声部に対して、オペラティックなメロディーを奏するヴァイオリンとフルートという対象が面白いです―短いですが展開部もドラマティックです。 明朗なメヌエット、ただしここでもきき所はトリオの部分で、ききての耳を引き付ける仕掛けを行ってくれます。 終楽章は推進力があり、ユーモラスで喜びに溢れて、また劇的な所も持っている多様さがある音楽です。 ★★★☆ シンフォニア ニ長調 「ルチオ・シルラ」K.135 序曲 ここでも1772年12月、ミラノで初演されたオペラの序曲をシンフォニーとして演奏しています。 急―緩―急の典型的な当時のイタリア序曲のスタイルで、堂々とした第1楽章、穏やかな第2楽章、燃え上がる炎のような終楽章といった構成で劇への期待感を膨らませるものです。 ★★☆ シンフォニア ニ長調 K.161/K.163/K.141a

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その7)

今週もホグウッドのモーツァルト交響曲完聴シリーズの7回めです。 CD5 交響曲第18番 ヘ長調 K.130 前にきいた第16番と第17番の交響曲と同様に1772年5月に作曲されたといわれています。3楽章形式だった前2曲に対してメヌエット&トリオを加えた4楽章からなり、楽器編成もオーボエからフルート2本にかわり、ホルンも4本に増えています。 編成の拡大に伴い音楽の構造も深化しています。それはちょうどこの年に4月にザルツブルクの大司教にコロレド―モーツァルトの伝記では必ずと言ってほど悪人として描かれている人物ですが―が就任していて、モーツァルトとしては新大司教に自身の才能を見せたいという意図が感じられてくるようなシンフォニーです。 大人しいイメージの第2楽章アンダンテ・グラツィオーソでは2本のフルートと4本のホルンで響くので優美さとたくましさが同居したような音楽になっています。 メヌエットも短いながらもブルックナーを思わせるリズムが印象的な所です。 終楽章は弦楽器と管楽器が見事な対比をきかせてくれます。どことなく音楽の運び方が、クリスティアン・バッハやマンハイム楽派と呼ばれるシュターミッツなどの影響が復活しているみたいです。でも、決して後退ではなくて音楽が素晴らしいものになっています。 ★★★★ 交響曲第19番 変ホ長調 K.132 この曲もフルートがオーボエに変わっただけで4本のホルンが含まれるのが特徴のシンフォニーです。まず驚くのは13年後に書かれる同じ調性の第22番K.482のピアノ・コンチェルトに似た第1楽章のテーマの登場です。 第2楽章はこれまでのシンフォニーに比べ格段に長大な緩徐楽章で、半音階的な動きでかなりロマンティックなもので、ここでは同じ変ホ長調の第39番のシンフォニーにつながっていく種がまかれているように思われ、モーツァルトの魅力が味わえます。 メヌエットでは4本のホルンが効果的に使われて充実した響きがきけます。トリオが宗教的な厳かな雰囲気を持っています。 終楽章は古風なバロック時代の舞曲を思わせる音楽に意表をつかれます。 ここで追加として本来このシンフォニーの第2楽章だったアンダンテ・グラツィオーソが収録されています。全体とのバランスを考えてかシンプルなものです。 ★★★☆ 交響曲 ニ長調 K.185

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その6)

クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによるモーツァルトの交響曲全集完聴記。今週はその第6回めです。 CD4 交響曲 第14番 イ長調 K.114 第2回めのイタリア旅行から帰った1771年の12月に書かれたといわれています。 楽器編成がオーボエに替りフルートが使われているため色彩的な響きがします。第1楽章ののびやかな旋律がオーストリアの田園風景が広がる感じです。 ここではコンティヌオ(チェンバロ)がかなりきこえてきます。 第2楽章アンダンテではフルートから持ち替えられたオーボエと弦楽器が牧歌のようなメロディーをきかせてくれます。この柔らかな音楽はモーツァルトの進化を示すものと思います。 第3楽章はすこし攻撃的なメヌエット。長・短調の交代が面白く、トリオでは哀愁を漂わせます。 終楽章モルト・アレグロは鋭い信号音みたいな和音から始まってスピード感に溢れていて喜びの爆発みたいです。 全曲を通じて管楽器に多少独立性が出てきたり、書式がきっちりしてくるなどの個性が感じられる初期シンフォニーの中では注目するべき作品であると思いました。 ★★★★ 追加のように以前はこのシンフォニーのために書かれたといわれていた1分ほどの短い K.61gⅠのメヌエット が演奏されています。ただし、現在ではこの作品は信憑性が疑われています。。。 交響曲 第15番 ト長調 K.124 ザルツブルクで1772年2月に作曲されたといわれ、この年に何曲も書かれたシンフォニーの1曲めにあたります。 今までの作品にあったイタリアの太陽を浴びた明るさだけでなくてオーボエやホルンに弦という基本的な編成を使いながらも重厚さというのか陰影がついてきています。第3楽章のメヌエットのつくりはセレナードやディヴェルティメントに含まれているような軽いもの。もっともこの当時シンフォニーやそういった娯楽音楽との明確な区別はなかったのですが・・・。 終楽章は第14番のシンフォニーみたいな和音を合図にスタートしますが、それに比べるとこちらは少しせっかちでまるで急いで書き上げたような印象を受けます。 ★★☆ 交響曲 第16番 ハ長調 K.128 1772年5月に続く第17番、第18番の3曲はザルツブルクで新しく司教に就任したコロレド伯に自分の才

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その5)

前回に引き続き真偽不明のシンフォニー集をきいていきたいと思います。 CD18 ・レオポルド・モーツァルト:シンフォニア ト長調 「新ランバッハ」 これが前回、完聴記(その5)で「旧ランバッハ」シンフォニーの項目に登場した、現在では父レオポルドが作曲されたとされている作品です。 第1楽章アレグロなんかをきけばこれがヴォルフガングの作品ですと言われれば納得しそうなメロディーラインを持っています。 その後の楽章も常識的な書き方というか自分の耳には「これだ!」という所のない、しかし悪い所もない作品。 ★ ・第7番 ニ長調 K.45 1768年の1月、ウィーンで書かれたとされています。オーケストラの編成は弦楽器にオーボエ、ホルンの他にトランペットとティンパニも加えた大きめなものになっていて、メヌエットを第3楽章に含む4楽章のシンフォニーで、モーツァルトがだんだんとウィーン風の手法を身に着けていったことが表れてきています。また、第3楽章を省き楽器編成も変更されて、この年に作曲されたオペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」の序曲に転用されました。 第1楽章からまさにオペラの開幕を予感させるドラマティックで堂々とした楽想です。第2楽章は小休止みたいにして短く、弦のみによりゆらりゆらりと舟に乗ったみたいに横に揺れるようなメロディー。メヌエットでは他の楽章に比べて少し長くて重々しいリズムが厳しい感じです。終楽章は不器用なリズムを持った音楽がユーモラスで、ホルンがローローと吹かれます。 ★★★ ・変ロ長調 K.45b(Anh.214) 自筆譜が現在まで発見されていない為に、作曲年代、真偽が明らかでない作品です。 第1楽章はスタイリッシュに躍動して楽しいです。第2楽章は室内楽風の静かな響きが古風な印象を受けますが、逆に新鮮にきこえます。第3楽章メヌエット&トリオは田舎の農民の踊りみたいなのどかな風景を思い浮かべます。第4楽章は第1楽章に使用されていても違和感がないもので、その疾走する音楽はモーツァルトらしさがあります。 ★★★ ・ニ長調 K.51 (K.46b) 「ラ・フィンタ・センプリーチェ」序曲 こちらがオペラの序曲に転用されたヴァージョン。 第7番からメヌエットを省き、フルートとファゴット各2本が加わった代わりに、トランペットと

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その4)

今週もガンバって、モーツァルトのシンフォニー。その第4回。 先週でほぼ初期のシンフォニーをきき終わる目安がついたので、今回と次回で残ったシンフォニーと真偽不明な曲をきいていきたいと思います。 CD17  (このホグウッドの全集の17枚めと18枚めには真偽不明の作品が収められています) ・交響曲 イ短調 K.16a /K.Anh.220  「オーデンセ」 1982年にオーデンセ(アンデルセンの生地で有名)で写譜が新発見され、1765年にロンドン、もしくは1766年~1769年頃、ザルツブルクかウィーンで作曲された初期の交響曲と研究家たちは推論しました。しかし、研究が進み偽作説が強まり、その後はほとんど録音・演奏される事の無くなったので、いまではこのディスクでしかきけない作品かも知れません。 モーツァルトとしては珍しいイ短調の交響曲で、当時流行していたシュトゥルム・ウント・ドラングの作風で書いたと言われれば聞こえはいいかもしれませんが、いざきいてみると―恐らく偽作―久しぶりにききましたがやっぱりそう感じました。第1楽章のメロディーの動きや終始部なんかも単純すぎます。ただ第2楽章の弦と管が語り合うようなところは唯一この曲で耳をひきます。終楽章も多弁になりすぎ、技が鼻にツイてもう少しスマートになって欲しく感じ、また、ホルンがいななくのもいただけないです。 ★ ・交響曲 ト長調 K.45a /Anh.221 「旧ランバッハ」 この曲も真偽が一転二転した曰くありの交響曲です。 1923年にザルツブルク近くのランバッハという街の修道院からふたつのパート譜の写譜が発見されました。片方にはヴォルフガング・モーツァルト作、もう片方にはレオポルド・モーツァルト作となっていて、このシンフォニーにはケッヘル45aという番号を与えられました。しかし、ドイツの音楽学者アンナ・アーベルトが実はこの曲はレオポルドの作で、もうひとつの方がヴォルフガング作であると発表しました。そこで、その交響曲を「新・ランバッハ・シンフォニー」として名付けられました。 話がゴチャゴチャしてきましたが、要はアーベルトという女性学者は「旧ランバッハ」がレオポルド作で「新ランバッハ」がヴォルフガング作であるという説を出しました。 しかし、ここで状況は一変しました。1980年代に「旧ランバッ

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その3)

今週はモーツァルトの交響曲全曲の完聴記―演奏ホグウッド&アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによる―その3回目です。 CD3 ・交響曲 ハ長調 K.35 「第一戒律の責務」序曲(シンフォニア) モーツァルト11歳の時に書かれた宗教的ジングシュピール(ドイツ語による宗教劇)の序曲をシンフォニーとして数えて演奏しています。 強弱の対比が繰り返されます。弦のユニゾンではドラマティックな表現をきかせるのが興味深いです。なお、この劇本編は3部に分かれていて第1部がモーツァルト、第2部がヨーゼフ・ハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドン、第3部がザルツブルク大聖堂のオルガニストで作曲家のアントン・カエタン・アドルガッサーによる共作になっているそうですが、私はまだその全曲をきいた事がありません。 ★★★ ・交響曲 ニ長調 K.38   オペラ「アポロとヒアキントゥス」序曲(シンフォニア) 1767年に作曲されてその年の5月に初演されたモーツァルト最初のオペラ。その導入曲をここでもシンフォニーとして演奏しています。 3分弱のあっという間でありますが、強弱の入れ替わり、喜ばしい表現などに初期のモーツァルトのエッセンスが凝縮された音楽といえます。 ★★★ ・交響曲 ニ長調 K.100(K.62a)  (セレナード第1番 ニ長調 K.100~第2、6~9楽章) この作品もホグウッド流の解釈によりセレナード(モーツァルト自身はこの曲を「カッサシオン」とよんでいます)楽章を抜き出して交響曲としています。 力強い第1楽章、弦の細かい動きに躍動感があります。第3楽章のピチカートにのせて2本のフルートが吹く美しいメロディーはヴェールをまとった美女ふたりが優雅に踊っているような劇用の曲のようです。後にパリ旅行の時に書かれたバレエ音楽「レ・プティ・リアン」が連想されました。 メヌエットが第2・4楽章にあり、いかにもセレナードから編曲した多楽章になっています。 終楽章はトランペットがけたたましく鳴って祝典的な雰囲気を盛り上げます。 ★★★ ・交響曲 第9番 ハ長調 K.73 作曲年が研究者によってまちまちな作品。自筆譜にはレオポルド・モーツァルトの筆跡と思われる「1769年」という数字が書き込まれているそうですが、有名なモーツァルト研究家た

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その2)

先日の クリストファー・ホグウッド さん追悼から始めた モーツァルトの交響曲全集完聴記 の 第2回 です。 CD2 をきいていきたいと思います。 ・交響曲 ニ長調 K.95(73n)  1770年頃、ローマで作曲されたものですが、自筆譜が残されていないので疑作説があります。  オペラの序曲を思わせるトランペット、ティンパニを編成に含む祝典的な音楽です。第2楽章アンダンテではここでしか登場しないフルートがグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」で一番有名な「精霊の踊り」を思わせる楽想で印象的な場面をつくっています。 メヌエットを第3楽章に含み、全4楽章のそれなりの充実感はあります(このメヌエットは後になって書き加えられたといわれています) ★★ ・交響曲 第11番 ニ長調 K.84(73q)   この曲も1770年にボローニャおよびミラノで書かれたとされていますが真作か疑いがある作品です。  第1楽章の滑らかなメロディーや問いと答えのように強弱が対比します。第2楽章のアンダンテではピチカートを使用しているところがユニークで、歌心溢れるメロディーが特徴です。 全3楽章を通じてイタリア・オペラからの影響と思われるものが多いです。終楽章のコーダは第33番の交響曲に似ているように思いました。 ★★★ ・交響曲 第10番 ト長調 K.74    1770年ミラノで書かれたとされ、自筆譜が残っているので真作とされますが、モーツァルトの初期交響曲をめぐる状況は現在でも混沌としているらしいので、学者先生の研究成果だけでなくて自分の耳を信じてきくしかないと思います。また、どれが「モーツァルトカナ?」と考えながらきく楽しみもあります。 第1楽章の弦楽器と管楽器がズレて奏される所はモーツァルト流のジョーク?を思わせ、そして続いて演奏される第2楽章アンダンテは牧歌的になります。終楽章ロンド(アレグロ)冒頭の弱音からフォルテへの加速は後期の作品にもきかれる手法が、中間部で弦をかき鳴らすように弾かれる箇所(トルコ風!?)は面白いです。所々に仕掛けられたワナがモーツァルトらしい「ユーモア・シンフォニー」―思わぬ拾いものです。 ★★★★ ・交響曲 ニ長調K.87(74a)     オペラ「ポントの王ミトリダーテ」序曲  ホグウッド版の拡

松本交響楽団 第72回定期演奏会

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松本交響楽団 第72回定期演奏会をききに行きました。 プログラム ・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 ザ・ハーモニーホール 開演14:00~ いきなり 交響曲第6番 からのプログラム―アマチュア・オーケストラにはかなり負担が大きいのでは?と思った通り、第1楽章「田舎についた時の愉快な感情のめざめ」というサブタイトルよりも馬車から降りるときから水たまりに気を付けて神経質に歩いていているような―でもうっかり馬糞を踏んでしまい「アッ!」と声をあげたみたいに音を外す管楽器群・・・といった感情になりました。以下の楽章も同じような感じです。第2楽章も「小川のほとりの風景」というよりは清掃されていない側溝といった停滞感に恨めしさを感じつつききました。しかし、第129小節からのフルート(ナイチンゲール)―オーボエ(うずら)―クラリネット(かっこう)と模倣するよく知られた場所では緊張しききても当然期待する中で健闘していました。特に全曲を通じてフルート奏者の方は良かったです。 休憩を挟んで ウェーバーの「オベロン」序曲 。個人的には「魔弾の射手」序曲よりも好きな曲で、冒頭のホルンの響きからメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」などに通じるドイツの深い森、そこに居そうな妖精が舞っているような幻想的でロマンティックな音楽がイイのですがホルンは安定した響きが不足していました(松本交響楽団のホルンはもうちょっとレベル向上を求めます・・・)でも後半にかけての追い込みはなかなかです。後のワーグナーがウェーバーの作品から影響を受けたことを意識させてくれて「リエンチ」や「さまよえるオランダ人」の序曲を思い浮かべました。 そして今回の演奏会のメインディッシュともいえる、ソリストに天満敦子さんを迎えた ヴァイオリン・コンチェルト です。 冒頭のティンパニの4分音符の4音もきっちりキマッテいい滑り出しでした(ティンパニ奏者の方は 前回の定期公演でも思いましたがとてもうまくて響きにもキレがあるのでその音が会場に響くとオーケストラに喝を入れているようにきこえます) 天満さんは女性に失礼ですが、細かいことには気にしない豪快ともいえ

チケット購入 松本交響楽団 第72回定期演奏会

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本日、松本交響楽団 第72回定期演奏会のチケットを購入してきました。   【プログラム】 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61 ・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 開演:14:00 ザ・ハーモニーホール(松本音楽文化ホール) *今回の演奏会は天満さんをソリストに迎えてのべートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが注目されるプログラムです。

クリストファー・ホグウッドさん追悼~モーツァルト:交響曲全集完聴記(その1)

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去る9月24日に クリストファー・ホグウッド さんが亡くなりました。 70年代~080年代を中心にオワゾールというレーベルに数多くの録音を残して古楽器演奏というジャンルを学者の研究対象から一般の音楽ファンの鑑賞対象にしたことに大きな貢献があり「オリジナル楽器界のカラヤン」といったような比喩をきいたような気がしますが、まさにその通りだと思います。 ちょうど先日よりホグウッドと自身が組織したアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)と78年から86年にかけて録音したモーツァルトの交響曲全集を少しずつきき始めてきいたところでした。 モーツァルトの交響曲は全41曲という常識を覆した彼らの代表的なディスクといえるもので、その収録曲数は全71曲!CDも19枚にも及びます。まだ音楽業界も体力があった時代だから実現できたもので、それから30年が経過してもこの企画を演奏の質はおいておいても、量的には現在も凌駕されていないのではないでしょうか? 今回、彼の死を機にモーツァルトの交響曲全集をきいていき、その試聴記録として投稿していきたいと思います。しかし、ディスクを次々にきいていく習慣がないので全曲をきき終わるのにいつまでかかるか見込みはありませんがよろしくお願いします。 このディスクは番号付きの作品だけでなく、オペラの序曲から断片、果ては出所のアヤシイ偽作(疑作)説のある曲までも網羅し、偏執的なくらいで、多少上げ底気味な感はありますが全部で71曲になっています。 CDは番号順(作曲年代順)に収録されていないため―今回、廉価盤のセットとしてきいている19枚は当初発売された時はそれなりに考えられていた組み合わせであったのに対して、収録時間重視でかなりバラバラな順番になってしまっています・・・(完聴記ではCDの収録順にきいていく予定です) なおかつ、収録年データや曲名も簡略化されていてジャケットもそっけないものになっているのが残念です。。。廉価盤だからといわれればそれまでですが・・・。 また、この演奏はクリストファー・ホグウッドはコンティヌオ(通奏低音)としてチェンバロを担当してコンサート・マスターのヤープ・シュレーダーがリーダーを務めている。つまり音楽解釈は前者、演奏現場の監督は後者というような手法で録音したそうなのですが、イマ

今週の1曲(27)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番

先日、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番K.515をご紹介した際に、この分野における「ジュピター・シンフォニー」のような作品で、第40番ト短調シンフォニーに比べられるのが第4番ト短調K.516であると申し上げました。なので第3番をご紹介しておいてこちらも傑作である第4番をご紹介しないのはもったいないので今週は モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516 です。 彼の記録していた作品目録によると、第3番完成後の約1か月後、1787年5月16日に完成したと記されているそうです。 第3番が堂々たる構成力で外に放射する力に満ち溢れている音楽に対して、この曲はとってもで内向的でジックリ向かい合いたい曲です。 第1楽章アレグロは焦りを煽るようなリズムと痛切な哀しみを伴うメロディーでインパクトがあり、激しさ、厳しさが伝わってきます。 第2楽章はうつろな感じのメヌエットで、そこには舞曲から連想する愉しみはありません。トリオでは一瞬、天使が舞ふ牧歌的な風景が見えますが、それを断ち切るようにメヌエットが戻ってきます。 第3楽章、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。ここでやっと安らぎをもたらす宗教音楽のような浄化された音楽がきかれます。モーツァルトの書いた緩徐楽章でも最高クラスに入るでしょう。 終楽章は絶望してヨタヨタ歩く人間を想像するアダージョの序奏から開始されます。そこから主要部のアレグロへと続いていきます。明るいロンドなのですが、心ここにあらず、というか目に涙を溜めながら「泣き踊り」をしているみたいで、第3番にあった充実感・高揚感は存在せず、虚無感が漂っています。 モーツァルトの音楽は明るく、楽しく、美しい―もっといえばクラシック音楽は心を清らかにして癒すものとして気楽にきくものと思い込んでいる人にきいて欲しい。 クラシック音楽はそんなものではないと感じるはハズ。 ききてはクラシック音楽から発見や関心、驚き、恐怖=デモーニッシュなもの、時には怒りや反感を受容できなければならないと思います。またそういった音楽でなければ面白くもないし、それを理解できていない演奏家もまっぴらごめんです。 既に「絶滅危惧種」「死に体」ともいえるクラシック音楽と付き合っている奇特な人種なのですから ―それくらいの心がけできくべきだと思いま す。 《Disc》 これも

今週の1曲(26)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番

今週は モーツァルト の室内楽の傑作のひとつ 弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515 です。 彼は弦楽五重奏曲を6曲―しかし、そのうち1曲は「ナハト・ムジーク」と呼ばれるK.388(384a)の管楽器のセレナードを編曲したものなのでオリジナルの弦楽五重奏曲と言えるのは5曲となるのですが、そのうちこの第3番から最後の第6番までの4曲はどれも傑作ぞろいです。 弦楽五重奏曲というのは通常、ヴァイオリンがふたつ、ヴィオラとチェロがそれぞれひとつという編成にヴィオラをもうひとり加えます。モーツァルトはヴァイオリンも弾きましたが、親しい仲間たちと室内楽を演奏するときはヴィオラを担当したと記録されているので、この作品を演奏するときもおそらくヴィオラを弾いたと思います。そのためか中声部であるヴィオラが充実していることもあり、活躍する場面を書いています。 モーツァルトが記録していた作品目録によると1787年4月19日に完成されたとされる第3番は規模・構成からみてもモーツァルトのこの分野における到達点の極みといわれます。 同時期の第4番ト短調K.516が第40番のシンフォニーに例えらるように、この第3番ハ長調K.515は「ジュピター・シンフォニー」と並び称されます。まあ、おききになればそれは誇張ではないことが分かると思います。そして、珍しいことに溢れ出る楽想を流れるように楽譜に書きつけたと思われている天才モーツァルトが何度も書き直しをしていることが自筆譜に確認されるそうです。それから、不思議なことに当時は曲を書いて出版することが生活の糧であったにも関わらず、1789年まで自ら出版をしなかったそうです。 アレグロ―アンダンテ―メヌエット―アレグロという一般的な4つの楽章からなっていて第1楽章のヴァイオリンの上昇していくメロディーはハイドンの「ひばり」のニックネームをもつカルテットの第1楽章にも通じる典雅なものです。それが古風なものでなく、口笛を吹いてスキップをしているモーツァルトがいるみたいですた。また、全曲を通じて音楽は堂々とした風格とオーラがあります。第3楽章はそのメロディー進行と強弱のリズムが「ジュピター・シンフォニー」にとても似ているように思います。 《Disc》 こういった構成がしっかりしている作品はアメリカの ジュリアード・カルテット に ジョン・グラハム

フランス・ブリュッヘンさん追悼

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8月13日、オランダの指揮者 フランス・ブリュッヘン さんが亡くなりました。 そこで今週のこのブログは彼を偲ぶ回にしたいと思います。 1934年生まれなので79年の生涯だったことになります。指揮者は80歳を超えて現役という方がいるのでもう少し生きてほしかったです。。。 彼はリコーダー奏者としてデビューしてちょっとチャチに見られがちなこの楽器の地位向上に大きく貢献したそうです。私は彼が指揮者に転向してからしか知らないので、現役時代、ニコラウス・アーノンクールやグスタフ・レオンハルトといった古楽演奏家の第一世代の人たちと残した様々な録音できいたのみですが。 1981年にはオリジナル楽器による「18世紀オーケストラ」を創設しました。 この団体は1年間に2,3回、本拠地アムステルダムに各地から固定メンバーが集結。リハーサルをして世界演奏旅行に出発し、帰国後のコンサートをライヴ収録したものを活動記録のようにしてディスク化して発表をしていました。 その演奏旅行で毎日繰り返し演奏しても飽きない『傑作のみ』をとりあげるとブリュッヘン自身が述べていて、名前のとおりバッハ~ハイドン~モーツァルト~初期・中期のベートーヴェンあたりが創設時の中心レパートリーでした。 他の同業者(ホグウッド、ガーディナー、ノリントン、アーノンクールetc)がベートーヴェン、ベルリオーズ、ブラームス果てはワーグナーやブルックナーあたりまでレパートリーを急速に拡大している状況に背を向けるように、限られたレパートリー繰り返し取り組む姿がストイックで 「音楽の求道者」 みたいで「カッコイイ」と思いました。全盛期の90年代にきいた演奏はどれも手垢のついたスコアをきれいさっぱり洗濯をしたようにきこえたので、今世紀に入ってからのやや守りにはいったような演奏をきいた時は、想い出の女性に久し振りに再会したら容姿がすごく変化していた―みたいな寂しい思いをしましたが― 彼の生演奏には3回接することができましたが、当時まだ音楽を詳しくきき取る耳を持っていないにもかかわらず、その体験は強く残っています。 *初めてきいた時のベートーヴェンの序曲「コリオラン」の切り裂くような冒頭和音。同じ日のアンコール、モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲のムクムク沸き立って躍動的に動きまわる音。  1回めの時

今週の1曲(22)~フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲

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今週の1曲は一般の知名度はこの曲のみで名前を知られているといってよい フランツ・シュミット FRANZ SCHMIDT  (1874~1939)の 歌劇「ノートル・ダム」間奏曲 です。 ちょうど今年で初演100年にあたり(1914年4月1日ウィーン)そしてこの1914年という年は第1次世界大戦の勃発という歴史上重要なとしでもあり、また音楽史上から見ても重要と考えられる年と考えられるため取り上げました。 *なぜ、1914年が音楽史上重要なのかと考えているか?またこのブログで述べたいと思いますが、この前年1913年にストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演に代表されるように新しい音楽の潮流が出て来た時代、第1次世界大戦の戦禍もあると思います。 シュミット(改めて言うまでもありませんが同姓のフローラン・シュミットという作曲家もいるのですがここで紹介しているのはシュミットはフランツです)は当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブラスチスラヴァ(現在のスロヴァキア首都)に生まれ、ウィーンの音楽院で学んだそうです。1910年代まではチェリストとしてウィーンの宮廷オペラのオーケストラにも在籍していたそうです。ちょうどその頃、このオーケストラの音楽監督はマーラーが務めていたのでその元で弾いていたことでしょう。 歌劇「ノートル・ダム」はヴィクトル・ユーゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ(ノートル・ダムのせむし男)」を原作にした2幕物の作品です。初演は成功して繰り返し上演があったそうですが、近年このオペラが劇場にかかったとか録音されたということは知りません。しかし、この間奏曲は有名で「オペラ前奏曲集」みたいなディスクの収録曲の定番でした―でもこういった類のCD自体の新録音が無い現在、耳にする方も減っているかも知れません。 でもとても興味深い曲です―冒頭、ブルックナーを思わせるような開始から中間部での重厚なオーケストレーションは後期ロマン派を感じさせる陶酔した世界を垣間見せ、終わり近くで曲が盛り上がってきたところでシンバルの一撃がブルックナーの交響曲第7番第2楽章の頂点で鳴らされる時に似た効果を挙げていています。 《Disc》 「オペラ前奏曲・間奏曲集」といった小品群を数多く残した カラヤン の耽美的な演奏がイチバンでしょう。この曲を彼は3回録音していて私

都響スペシャル エリアフ・インバル指揮 マーラー交響曲第10番(クック補完版)

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都響スペシャル エリアフ・インバル 指揮による マーラーの交響曲第10番嬰へ長調(クック版) の演奏会をきくため地方より上京してきました。 (於:2014年 7月20日(日曜日) 14:00~ サントリーホール) マーラーの交響曲第10番は一昔前までの「マーラー指揮者」といわれたバーンスタイン、テンシュテット、そしてアバド、マゼールといった人たちはマーラーの総譜が何とか完成している第1楽章のアダージョのみを演奏するのが一般的であったのに対して、現代の指揮者たちはイギリスの音楽研究家デリック・クック(1919~1976)が補筆完成させた、いわゆる「クック版」といわれる全5楽章のものを演奏するのがメジャーになりつつあるというか、きき手もキワモノをきくみたいな感覚を持つことなく接するようになりました。 それにはこのヴァージョンの普及に貢献したと思われるサイモン・ラトルを筆頭にリッカルド・シャイーそしてインバルなどによる演奏・ディスクの影響が大きいと思います(他にも違う版で演奏している指揮者まで含めるとこのシンフォニーをめぐる現況は百花繚乱といったところで、きき手が望めば色々な楽しみ方をできます) そのラトルやシャイーが一貫してクック版しか取り上げないのに対してインバルは当初1980年代の後半にフランクフルト放送交響楽団とマーラー交響曲全集を手掛けた時は第1楽章アダージョのみでしたが、クック版に価値を見出したそうで全集補完のようにして1992年にレコーディングをしました。 今回も基本的にそのヴァージョンで演奏しているようでした。しかし、「クック版」といってもこれまた一筋縄ではいかず、何回かクックが亡くなるまで手を入れていて、また彼の死後も周りの人たちも手を加えているのでクック版にも異稿があるのです。そして演奏する指揮者も自分オリジナルで修正したりしているので専門家でないと「どこがどう違う」ということまで判りません。 私のような素人でクック版を他人の手掛けた「マガイ物」という見方をしていて熱心にきいてこなかった人間には版がどうのこうのという力は持っていないので演奏会で鳴っていた音楽についてのみの感想です。 第1楽章、始めヴィオラのみで呈示される序奏テーマでの緊張感ある音、これにより一気に曲への集中力が高まります。続くヴァイオリンの第1主題

新・専属オルガニスト 原田靖子 ホールデビューコンサート(ザ・ハーモニーホール)

松本音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の第4代めの専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビューコンサートをききに出掛けました(2014.7.13 Sunday 14:00~) 1曲めは純然たるソロ・オルガン曲 デュリュフレ 「前奏曲、アダージョと”来たれ、創造主たる精霊”にもとづくコラール変奏曲 彼の作品はレクイエムがなかなかいい曲だったので期待していたのですが肥大したロマン主義の延長線上でビヨーンとした音楽でなんだか抽象的なイメージでした。延々20分近く強弱が連続する音をきかされ、堂々巡りみたいになって耳と体の感覚がマヒしてきました。ただ、途中で出てくるコラール旋律の美しさとメロディーラインの流れがいいところがあったので曲としての評価は星★★☆☆☆といったところでしょうか!?やっぱりパイプオルガンの曲はバッハに限ると改めて実感しました。 休憩後のプログラム後半は オルガンとダンスとうたによる音楽物語「字のない手紙」 というオリジナルの劇のようなものでした。 その分野について意見を言えるようなほどの経験はありませんが―共演の 中ムラサトコ さんの透きとおった歌声が会場に響くと異空間になったような感覚を受けます。(他にも様々な演技や楽器演奏それに効果音までを担当するスゴ技!)に始まりダンスの 新井英夫 さんの動と静のメリハリが見事な演技に感心しました。そして60分近くに渡りパイプオルガンを弾き通しの原田さん―3人の息の合った舞台だったのではないでしょうか。そしてステージのみならず、会場全体、高い位置にあるオルガン席も活用した舞台演出も興味深く思いました。そして見ている人間のイマジネーションを刺激する舞台―でも少しここでも抽象的なパフォーマンスがあったりして―今回のテーマは「抽象」?と考えてしまいました。また、騒がしい場面のところは少々辟易しましたが。。。 原田靖子さんには早くこのホールでパイプオルガン独奏コンサートを開催していただきたいと思います(曲目はスウェーリンクとかフレスコバルディあたりでお願いします) *そして前回のブログの コンサート予告で書いた 方法を実践してみました―でもやっぱりどことなくバランスの悪い音で低音不足、ガツンとくる音がきこえず、音も薄くてホール全体が包み込まれるような空間にならないので残

原田靖子ホールデビューコンサート 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)

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松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビュー・コンサートが開催されます。 2014年7月13日(日曜日)14:00~ 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) 【プログラム】 ・デュリュフレ 前奏曲、アダージョと「来たれ、創り主たる聖霊」によるコラール変奏曲 Op.4 ・オルガンとダンスと歌による音楽物語「字のない手紙」 共演 ダンス:新井英夫     うたとおはなし:中ムラサトコ ちょっと子供向けのプログラムではありますが多くの人に原田靖子さんのオルガンに親しむ良い機会になるのでは? 入場整理券が当選しているので息子と行って来る予定です。 息子と行くコンサート初体験ーどんな事を感じるのか楽しみです。 私としては以前にこのブログで前任の専属オルガニスト保田紀子さんの演奏会で感じたここのオルガンの低音部不足解消案ー出来る限り前方席に座り低音カット、高音を頭上から浴びるようにきくという方法を試してみたいです。

今週の1曲(20)~R.シュトラウス:四つの最後の歌

R.シュトラウスをここ連続して取り上げてきてまだまだご紹介したい作品はありますが、今週でひと区切りします。 当初は楽劇「ばらの騎士」にと考えてきき直そうとしましたが、たいそう長い曲でかさばり、時間くい虫でもあるということと、私がこの作品をみなさんへご紹介するほどの力不足と考え見送りました―でも彼の作品中のみならずオペラの最高傑作でもあるので、いつか機会をつくりたいと思います。 そして今回選んだのは ソプラノ独唱とオーケストラによる  四つの最後の歌  です。 この作品はR.シュトラウスの亡くなる1年前、1948年に書かれました。彼は1864年に生まれて1949年に亡くなっていますので、とても長命でその創作期間も同様に長かったのですが、生涯を通じてソプラノの高い声を愛していたそうで、オペラやリートでもその見せ場があり、その魅惑的な歌声にきき惚れます。 第2次世界大戦後スイスで隠居生活というか、戦犯容疑もあったので隠遁するように暮らしていた彼が、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1786~1857 ドイツ・ロマン派の詩人でヴォルフなども付曲しています)の詩に接して晩年の心境と重なり、インスピレーションを受け書かれたのが「夕映えに」です(1948年4月作曲) その後、ファンから贈られたヘルマン・ヘッセ詩集からも共感を覚え「春」を7月に「眠りにつくとき」を8月に翌月には「9月」の3曲を書き上げました。 演奏されるのは出版の曲順に従い「春」―「9月」―「眠りにつくとき」―「夕映えに」というものが一般的です。 第1曲「春」   「ほの暗く長い冬からまばゆいほどの春が訪れた―」 というような内容の春を讃える歌です。 冒頭ではまだ寒い冬から春の目覚めを印象付けて、しだいに鳥の声や樹の葉のそよぐ音が春の到来を描き「春」=「恋人」をイメージできるような、老人とは思えないみずみずしい音楽です。 第2曲「9月」   「夏が終わって庭は悲しみ、冷たい雨が降っている。次々と沈んでいく夏の庭の中で驚き、疲れて、物憂げな微笑みを浮かべる。ばらの花のもとにとどまって、やがて大きな疲れた目を閉じる」 という大意です。夏から秋への季節の移り変わりを人生の終焉に例えて、黄昏に近づいていることをワーグナー風のオーケストラの細かい動きで描きます。曲の最後できこえてくるホルンの音が、

今週の1曲(19)~R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

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ここ連続して R.シュトラウス の作品をご紹介していますが、彼の作品の代名詞でもある交響詩を1曲も紹介しないのは申し訳ないのでここで登場していただきます。 交響詩「ドン・ファン」 作品20 別に「英雄の生涯」でも「ツァラトゥストラはこう語った」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ドン・キホーテ」などでもいいのですが中でも一番きいたことのある回数を考えるとたぶんこの曲が多いと思うので取り上げました。 しかし、彼の交響詩はストーリーがあまりにも通俗すぎ、オーケストラの響きに頼りきっている感があって以前は「凄いなぁ~!」「カッコいいなぁ~!」といってきいてきましたが―作曲者自身の自己顕示欲のようなものを感じる時があってウザくなる事があります―この曲でも女性を表すとされるメロディーが次々と出てくるのですが、それに陶酔すると同時に「どんなもんだい、こんなにも書けるんだぞ!」と自慢されているようにもきこえます。 R.シュトラウスは「マクベス」作品23を先に先に書いていましたが、1888年に発表、翌年に初演された交響詩が「ドン・ファン」で、出版が前者よりも先になったのでこの曲が彼が書いた初の交響詩として聴衆の前に現れました。 「ドン・ファン」とは中世スペインの伝説の人物。イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―モーツァルトのオペラをはじめとして様々な音楽家が作品化しています。R.シュトラウスはそれをニコラウス・レーナウ(ハンガリー出身でオーストリアで活動した詩人。1802~1850)の詩に基づいて書かれたのがこの交響詩です。 冒頭の爆発するようなメロディーからドン・ファンを表すテーマが理想の女性像を求めるように次々とメロディーが登場してきます。そのふたつの旋律との絡み合いからクライマックス―これは酒色にふけって自堕落な生活をしているドン・ジョヴァンニ表現していると思われます―それに飽き失望し熱が冷め、自滅していく・・・他の彼の作品でも何度も使われる手法ですが、盛大にオーケストラを鳴らした後に消入るように静かに曲を閉ます。 *この曲を静かに終わらせて「死」や「消滅」を意味するような方法が R=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」(初演1888年)や、 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(2曲と

今週の1曲(18)~R.シュトラウス:管楽器のための交響曲「楽しい仕事場」

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今週も生誕150年の リヒャルト・シュトラウス の作品から 管楽器のための交響曲第2番 変ホ長調 「楽しい仕事場」 副題のような理想的な所があったらどんなにかいいかと思ってしまうのは横に置いておいて(^_^.) この作品は彼の晩年、そして第2次世界大戦中の1945年に書かれました。ちなみに第1番も当然あってこちらには「傷病兵の仕事場から」という標題がつけられています。 4つの楽章から出来ていて先週の小二重協奏曲と同様に大音量のオーケストラできき手を圧倒するといった作品ではなく、小編成(12本の木管楽器とホルン4本)のアンサンブルのための曲でモーツァルト時代のセレナーデとかディヴェルティメントのような雰囲気をもっています。 第1楽章のアレグロ・コンブリオでは別の作品のテーマにする予定だったといわれる素材が織り込まれていたり、どっかできいたようなメロディー(例えば「英雄の生涯」など)がきこえてきて滅法楽しめる楽章です。 第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエットとここではまさにR.シュトラウスが敬愛するモーツァルトへのオマージュを捧げているのだろうなぁ~と感じる優美な音楽です。 終楽章はアンダンテの導入からアレグロの主要部からなる演奏時間約40分のうち3分の1位を占めます(この楽章のみ最初第1楽章として構想され1943年作曲されたといわれています)暗い導入部は思わせぶりでその後には生き生きとした動きのある音楽がきこえてきます。 心身疲労や敗戦濃厚な空気により創作意欲が衰えつつあった時期の作品といわれていますが―といってもこの頃80歳を超えていたということを考えれば当然といえば当然ともいえますが―しかしこの作品をきいていると作曲・演奏する楽しみや喜びを決して無くしたわけではないと感じます。老人のような干からびた(失礼)音楽ではなくてツヤっぽさもあって、まだR.シュトラウスここにあり!と示しているようにも感じられます。 《Disc》 オーボエの名手、現在では指揮者・作曲家としても活動している ハインツ・ホリガー が ヨーロッパ室内管弦楽団の管楽メンバー と1993年に録音したものがとてもイイです。 当時若手奏者により結成されたオーケストラの仲間たちがまさに「楽しい仕事場」で音楽を奏でているゴキゲンな感じが伝わってきます。 ホリガーは指揮

今週の1曲(16)~ヴィターリ:シャコンヌ

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今週ご紹介する1曲はバロック時代のイタリアの作曲家 トマゾ・アントニオ・ヴィターリ Tomaso Antonio Vitali (1663~1745)の ヴァイオリンと通奏低音のための変奏曲 「シャコンヌ」 です。 ヴィターリは同じく当時著名な作曲家ジョヴァンニ・ヴァティスタ・ヴィターリを父親にもち、生涯のほとんどをモデナの宮廷楽団でヴァイオリニスト・作曲家として活動しました。 父親の作品は現在でもそれなりに残っているのに対し、息子の方はこの曲のみで名前を留めています。しかし、彼には申し訳ないですが多くの歴史の中に消えていってしまう作曲家がある中で、300年以上前のこの1曲でも弾かれ、きかれ続けてきたことはきき手にもヴァイオリニストにとっても幸せなことではないでしょうか? 「シャコンヌ」とはイベリア半島を起源とする3拍子の舞曲の一種で、イタリア半島に伝播してフランス~ドイツへと伝わりバロック時代には変奏曲における形式として定着しました(中でも最も名高いのは言うまでもなくJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番の終曲ですよね)しかし、その後の古典派~ロマン派になると古い音楽の形式と考えられて廃れてしまいました(ドイツ音楽の至高を目指したブラームス―交響曲第4番の終楽章やシェーンベルクの作品に登場する程度になってしまいました) この曲はヴァイオリンの名人といわれたヴィターリによって様々な技法を駆使して主題と変奏が展開します。あまり深刻になりすぎず、かと言って情感もしっかり表現されています―この作風はこのジャンルにおける完成者といわれる、先輩アルカンジェロ・コレルリの影響があるといわれています。その流れが後のパガニーニへと繋がっていった種子があるように思います。 例の大バッハの「シャコンヌ」が孤高で他者を寄せ付けない存在としたらこちらは地中海の気候のように明るさと華やかさをもっているので親しみがあります・・・でも、この曲に現在「偽作説」が出ています。。。 《Disc》 愛聴盤―ベルギー出身の往年のヴァイオリニスト、 アルテュール・グリュミオー (1921~1986)と リッカルド・カスタニョーネ のピアノによるものです。 「原典主義」を掲げる人からはグリュミオーが楽譜に手を加えて編曲していて伴奏が当時存在しなかったピアノである

今週の1曲(14)~モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番

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彼が作曲した番号付きのピアノ協奏曲は全部で27曲。中でも演奏機会に恵まれているのは20番から27番に集中してますが、その前の10番台にも魅力ある作品があります。 20番台の協奏曲に接するときは演奏家もきき手もどっか構えたところがあるような気がしますが、10番台の方は気軽な気持ちで楽しめるのでフト、 モーツァルトのピアノ・コンチェルト を何かききたいと思った時に手にすることが多く、その中でどれが一番ということはなくてその日、その時に気分で変わります。 今回は ピアノ協奏曲第12番イ長調K.414(385p) をご紹介します。 コロレド大司教と大ゲンカをして故郷ザルツブルクを飛び出したモーツァルトがウィーン移住後の1782年に予約演奏会のメインとして自身のピアノで弾くために第11番から第13番までの3曲が書かれました。彼にとっては約3年から5年ぶりのこの分野での新作で、最後の27番まで続くウィーン時代のピアノ協奏曲群のスタート地点に当たる作品です。 曲は一般的な協奏曲のスタイルで「速い―遅い―速い」という3つの楽章からできていて、カデンツァはモーツァルト自身が書き残しているのでほとんどのピアニストもそれを弾きます。 第1楽章アレグロではささやくようなオーケストラで始まり、それを受けるようにしてソロが入ってくるのですがそこの感じが絶妙です。 第2楽章アンダンテは静けさと落ち着きをもった音楽で、チョコッと第1楽章のフレーズに似た箇所が顔を出します。 第3楽章のアレグレットはおどけたようなロンドに始まってリズミカルにピアノが駆け回るところはモーツァルトがウィーンの聴衆にアピールしようとしているように思います。 《Disc》 有名どころのピアニスト(バレンボイム、アシュケナージ、ブレンデル、内田光子etc)はみんな録音しているので好みの演奏家を選べば間違いないです。 マレイ・ペライア がイギリス室内管弦楽団を弾き振りしたものはとにかく磨かれた音、楽譜を読み込み考え抜き生みだされたような音に感心します(録音:1979年) そして思い出したようにきくのはオーストリア出身のピアニスト、 ワルター・クリーン (1928~1991)の歌心たっぷりに弾かれる音をきいてカサカサに乾いた耳と心に水分を与えます。ただし、バックを務めるギュンター・ケール指

身辺雑記(番外編)~NHKドラマ「ロング・グットバイ」感想

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今日はクラッシク音楽ではなくてTVドラマを観ての感想です。 NHKドラマでアメリカの作家レイモンド・チャンドラーが書いたハードボイルド小説 「ロング・グットバイ(長いお別れ)」 をベースにその舞台を日本にしてアレンジを加えたドラマが始まりました(全5回シリーズ) 原作をハードボイルド小説にハマった20歳代に「マルタの鷹」(ダシール・ハメット著)と「深夜プラスワン」(ギャビン・ライアル著)と共に何度も読み返した作品なので興味深々に観ました(まだ時間の関係で第1回を観ての感想です) 1番感じたのはチャンドラーの気の利いた、またアイロニーに満ちたセリフや場面の演出に関心があったのですが、裏切られてしまいました。。。 ・フィリップ・マーロウが泥酔しているテリー・レノックスを「ダンサーズ」で目撃し自分の車に乗せる場面でその手伝いをしてくれた白服(ドアボーイ)が酔っ払いと関わるなんてもの好きな人間だと言われて 『そうやってこここまでのしあがったわけだ』 と言葉を返す所。                                     (村上春樹訳 ハードカバー版9ページ) ・マーロウとレノックスが親しくなり「ヴィクターズ」で飲み交わすようになってカクテルの「ギムレット」を飲んでいるときに 「本物のギムレット」 について語る場面  (同 28ページ) ・ 開店直後のBARの居心地の良さについて語るところ    (同 34ページ) (この意見は自分もそう思って仕事帰り開店直後のBARによってジン・アンド・イットやモルト・ウイスキー、もちろんギムレットも!飲んだことを思い出します) と、いったセリフ・場面が全て置き換えられていました―こういった場面に期待したのに(+_+)―このさき先にも名セリフや名シーンがたくさんあるのに心配です。。。 そして登場人物のキャラ設定もかなり変わっています。例えば原作では大手新聞社の代表でありながら写真も撮らせない、インタビューにも応えない―裏で社会を操る謎の人物「ハーラン・ポッター」を政界を目指す悪徳政治家風な感じにしていました。なんだか 「マーロウ対ポッター(政界・財界を象徴する人物としての」的 の NHK好みの 「社会派ドラマ」 にしてしまっているような雰囲気が残念です(第1回以降を観る意欲が無いのはそ

今週の1曲(13)~ドビュッシー:ピアノ三重奏曲

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今週ご紹介するのはフランスを代表する作曲家のひとり クロード=アシル・ドビュッシー (1862~1918)が最初期に完成させた ピアノ三重奏曲ト長調 です。 ドビュッシーが1879~80頃、ちょうど17、8歳の時にチャイコフスキーのパトロンとして有名なフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同行しました。その際に自身がピアノを弾き夫人の前で演奏するために書かれたものと思います。しかし、その後はどうも忘れ去られてしまったらしく、楽譜が散逸してしまい完全な形として出版されたのは1986年になってからのことだそうです。 彼が後年、新しい音の響きを生みだしていったのに対して、このピアノ・トリオからはそういった印象は受けなくてフランクやフォーレ、サン=サーンスの作品にも通じるものがあり、そこに青葉のような香りも感じます。 曲は4つの楽章から出来ています。 第1楽章 アンダンティーノ・コン・モルト・アレグロ 冒頭、ピアノ~ヴァイオリン~チェロへとメロディーが受け継がれていき発展していきますが、小さなつぼみが花を咲かせ満開になっていくみたいです。 第2楽章 スケルツォ―インテルメツォ・モデラート・アレグロ ピチカートで始められるリズムから民謡風で親しみやすいメロディーがきこえてきます。 第3楽章 アンダンテ・エスプレシーヴォ あまりにもムードたっぷりで初めてきいた時はのけ反りそうになりましたが、とてもロマンティックに弾かれる音楽には 耳が自然と吸い寄せられていきます。束の間の夢のように終わってしまう短い3分程の楽章です。 第4楽章 フィナーレ、アパッショナート 急速なリズムとテンポで駆け抜けていくところに若者の「ほてり」みないなものをヒリヒリと感じます。      《Disc》 海外盤のジャケット ピアノ:ジャック・ルヴィエ ヴァオイリン:ジャン=ジャック・カントロフ チェロ:フィリップ・ミュレ によるものが国内盤・海外盤共に廉価盤であります。 1987年に録音されているので恐らく出版後初の演奏だと思います。 音楽の持っているフワッとした感覚をうまく表現しているのではないでしょうか? 音の彩色もきれいで第1楽章などでは目の前に花畑が広がるような感じがして、曲の魅力をよく伝えてくれます。

ありがとう保田紀子オルガン・リサイタル

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1990年から松本のザ・ハーモニーホールの専属オルガニストを務められた 保田紀子 さんのオルガン・リサイタルに出かけました。 於:2014年4月12日(土曜日) 開演14:00    松本 ザ・ハーモニーホール  パンフレット・・・なんだか・・・いくら招待コンサートとはいえもっといいデザインなかったのかしらねえ 当日の演奏曲目 オルガン曲はほとんどきかない私ですが1曲めの ブルーンス の プレリューディウムト長調 ―初めてきく作曲家・作品でしたが感心しました。 ブルーンス(1651~1697)はブクステフーデの弟子だったらいのですが32歳の若さで亡くなってしまったそうです。細かいガラス片みたいなものが光を浴びてキラキラ天から降ってくるような高音の美しさ!フーガのめくるめく自由な飛翔!バッハの作品と似ていると思いました。そして大 バッハ の パッサカリアハ短調BWV582 。最初の足鍵盤で呈示させる印象的なテーマが次々と変容していく様子が見事です。 休憩後の ヴィドール の オルガン協奏曲第5番 からの 「トッカータ」 。オルガン曲の中では有名らしいですが私はただチャラチャラ鳴っているだけであまり好みの音楽ではありませんでした。その後の フランク の プレリュード、フーガと変奏曲ロ短調作品作品18 と リスト の バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」とロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲 はオルガンの性能を堪能させる曲で静かな部分では思考的な感じを与えられました。 保田さんの演奏は丁寧に音楽をききてに届けることに努めているようでした。改めて感じたのはオルガニストがピアニスト以上に体力仕事であることで、両手のみではなく左右の足を大きく開いたり、腕は右の鍵盤にあるのに足は左の鍵盤を押したりと・・・キツそうな態勢で演奏していました。 これからはオルガン曲もたくさんとはいかないですが機会があればききたいと思うようにしてくれた保田紀子さんに感謝です。ありがとうございました。 ただ当日の聴衆―これが無料演奏会(事前申し込みの抽選で選ばれた人)の客か・・・と思う人ばっかしで1曲めから居眠りしている人の多さ!(私の隣の人もそうだった)たぶん3分の1の人ははほとんど寝ていたのでは? 音楽会後に行きつけのデスク

今週の1曲(10)~ブラームス:大学祝典序曲

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新年度がスタートして新しい生活が始まるのにふさわしい(そうじゃない人ももちろん)音楽をご紹介したいと思います。 ブラームス 大学祝典序曲 作品80 ブラームスの作品をきくとほとんどがシブイ曲ばかりで生涯この人、笑ったことないんじゃないか?と思ってしまいますが、この作品は作曲者本人いわく「笑いの序曲」とのことで確かに彼には珍しく異常に喜びに満ち溢れている音楽です。 曲が書かれたのは1880年、前年の1879年にドイツ、ブレスラウ大学の名誉博士に選ばれたことへの返礼として作曲されました。しかし、その2年前の1877年にもイギリス、ケンブリッジ大学からも音楽博士にと申し出があったのですが授与式のために船旅をするのを嫌がってボツになっていたということでブラームスらしい面白いエピソードです。 曲の内容は4つのドイツの学生愛唱歌を基に自作のテーマを織りこまれた陽気でバンカラ(表現が古すぎ!)な学生たち―北杜 夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を連想し―目に浮かぶような音楽に思います。 開始はハ短調で―入学式で初めて門を入っていく様な不安な感じみたいなところから美しさを加えて、45小節から歓喜がやってくるという、それからの展開への期待を高めてくれます。また、この曲を初めてきく方でも157小節から^ファゴットで呈示される「新入生の歌」のメロディーはテレビとかラジオなどで使用されることもあるので(放送大学などのアカデミックな雰囲気を演出したい時のBGMに使用されます) 私はこの曲をきいているとマジメな人が羽目を外した時に変な面白さがあるのと同じ―ただし、周りの人間は反応に困りうつむいてしまう感じによく似ています。そんなことに我に返ったのかブラームス。同時期に双子のように「悲劇的序曲」作品81という曲を書いて、バランスをとっています。(ごまかして?)います。こちらは「大学祝典序曲」を「笑いの序曲」と呼んだのに対して「泣く序曲」と呼んだそうです。 《Disc》 演奏時間が10分程度なのでブラームスの交響曲のおまけのように入っていますが(演奏もそういったことが伝わってくるものがあります) 不思議なことに全交響曲をレパートリーにしていても「悲劇的序曲」は演奏するのに「大学祝典序曲」は取り上げない(ただ録音自体が残っていないという場合もあるかも知れませんが)指揮者

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

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シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

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地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

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先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。

モローとルオー展

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フランスの画家 ギュスターヴ・モロー (1826~1898)とその愛弟子 ジョルジュ・ルオー (1871~1958)の絵画展に出かけました(於:松本市美術館 企画展示室) 精緻な造りと色に引き込まれました。また、ひとつひとつの作品がそれぞれ個性的で明るい色調(青色)のものや黒や茶色を使った暗いものあったりと興味深く観ていきました。そして今回の企画展はモローと深い師弟関係にあったルオーの作品もうまく組み合わされ展示されていたので、題材・構図・色使いなどを見比べると、お互いがリスペクトし合い、師の意思を継いだ弟子が大きな戦争を2度経てどのように変わっていったかを知ることができました。 他にもモローの下絵といわれる油絵がとても抽象的で人物や雲、エンジェルが宙を舞っている・・・など観る人それぞれがいろいろ想像できる作品があってとても印象深かったです。 また、両者のイエス・キリストを題材にした作品やモローの「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」などものすごい吸引力にその場面に入り込みました。 帰りは美術館の近所にある行きつけのディスク・ショップに寄って以下のCDを買って帰りました。 ・マーラー:交響曲第10番(クック版)  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(録音:1992年 DENON) ・リスト:パガニーニ・エチュード(初版&改訂版 完全版)  ピアノ:大井 和郎(録音:1999年 徳間ジャパン) ・パガニーニ:24のカプリース  ヴァイオリン:マイケル・レビン(録音:1958年 EMI)      

インバル/東京都交響楽団 [新]マーラー・ツィクルスⅣから

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東京芸術劇場リニューアル記念 エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団  マーラー 交響曲第9番 ニ長調 於:2014年3月15日 東京芸術劇場 地方からわざわざ出掛けた価値のある演奏会でした。 私がきいたのは3階席でしたが冒頭、ホルン、チェロそしてハープで紡ぎだされる1音1音がこちらにもクッキリときこえてきました。そこへ第1主題が入ってくると湖上をボートに乗って漕ぎ出すみたいになめらかで清らかな響きでした(交響曲第7番の第1楽章序奏のテーマのインスピレーションを受けたのがこうゆうシチュエーションだったと作曲者本人が奥さんのアルマに伝えていますが、この交響曲も彼の生活環境を結びつけるものが感じられます) 曲が展開部に入ると会場に打ち鳴らされるシンバルや打楽器による音のパワーもきき手に恐れや怯えといったものを与えます。この部分から後半部にかけて頭に浮かんでくるのは船が沈没して海に投げ出された乗員・乗客が漂い、助けを求め手を上げもがきながら波に呑み込まれていっていってします姿です。 第2楽章はオーケストラの響きにキレがあり遅いところから速くなったり、強奏される時のレスポンスが良くて場面展開を見事に切替えていきます。第3楽章も同様で、対位法的な箇所ではマーラーの作曲技法の円熟をきき手にアピールし、442小節から頂点を迎える音楽は熟れた果実のように後は腐敗していくように―それをわかっていながら目を背け狂乱しおぞましい世界が繰り広げられます(昨日と同じ今日が来てくれることを当たり前としているかのように・・・)インバルの指揮は音楽に没入しすぎないで的確なコントロールをしているように感じました。それが「音楽に入っていかない」というわけではないのが彼のマーラーに特徴的な冷静さと熱気が融合しています。 第4楽章ではそういった持ち味を存分にきけました。 一回きりのナマ演奏なら情緒たっぷりに乗り切ってしまうことも可能な音楽をハイドンが種をまき、ベートーヴェンが地位を確定させ、続くロマン派のブラームスなどが力を注ぎブルックナー、マーラーにより「ソナタ形式」を金科玉条として特にドイツ、オーストリア音楽圏で恐竜のように進化した「シンフォニー」というジャンル。それがこの交響曲では「徹底的に」朽ちて滅びていく姿としても解釈できるような演奏と思いました。それが宗

今週の1曲(8)~ポンキエルリ:「時の踊り」

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今週、家族と共に東京ディズニーリゾートへ出掛けました。 そこで「ディズニー」―「クラシック音楽」―「ファンタジア」というシンプルかつベターなアイデアで1曲。   「ファンタジア」といえばディズニーの稼ぎ頭ミッキー・マウスが登場するデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」が有名ですが、私個人として面白かったのは ポンキエルリの 「時の踊り」 をモチーフにしたあまり運動が得意そうじゃないカバとかゾウとかも出て来てバレエを踊るストーリーがコミカルな印象に残っています。 「時の踊り」はイタリアの アミルカーレ・ポンキエルリ (1834~1886)が1876年に初演されたオペラ「ラ・ショコンダ」の劇中音楽です。彼はこの作品で成功するまで不遇であったそうですが、悲しいことにこれ以降は創作力が低下してしまったとのこです。とはいいながらも今日「時の踊り」のメロディーを耳にすることはあっても「ラ・ショコンダ」の舞台に巡り合う機会はまれで、私も接したことはありません。 オペラのストーリを説明していたら長くなってしまうので超簡単にすると、17世紀のヴェネツィアを舞台にした歌姫「ショコンダ」の悲劇で原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲に基づいているそうです(本当に簡単ですみません)なかなか血なまぐさそうでマスカーニやベッリーニあたりのオペラまでが守備範囲の方なら十分楽しめそうな内容です。 「時の踊り」は第3幕第2場で演奏されるバレエ音楽ですが初演当時オペラ上演の際にはバレエの場面を入れるのが習慣というか鑑賞とされていたためストーリー展開とはほとんど無関係です。オペラ本編とは関係無い音楽で後世に名前が残っているのは皮肉なポンキエルリ。。。 曲は「夜明けの時」―「昼間の時の入場」―「昼の時の踊り」―「夕方の時の入場」―「フィナーレ」という1日の時間経過を表現しているそうですがそんなことを考えずにきいても耳にすぐ耳に入ってくるメロディーに彩られています。 《Disc》 やっぱりこの種の曲はカラヤンかオーマンディか?しかし、あまりにもメジャーな選曲なので演奏はチョットひねって私の偏愛指揮者 フェレンツ・フリッチャイ (1914~1963)で。とても小品を手掛けているとは思えないくらい力が入っていて、特にフィナーレにかけての一心不乱の音楽への没入は「これじゃやっぱり早死にしちゃうよ」