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3月, 2014の投稿を表示しています

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

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シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

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地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

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先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。

モローとルオー展

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フランスの画家 ギュスターヴ・モロー (1826~1898)とその愛弟子 ジョルジュ・ルオー (1871~1958)の絵画展に出かけました(於:松本市美術館 企画展示室) 精緻な造りと色に引き込まれました。また、ひとつひとつの作品がそれぞれ個性的で明るい色調(青色)のものや黒や茶色を使った暗いものあったりと興味深く観ていきました。そして今回の企画展はモローと深い師弟関係にあったルオーの作品もうまく組み合わされ展示されていたので、題材・構図・色使いなどを見比べると、お互いがリスペクトし合い、師の意思を継いだ弟子が大きな戦争を2度経てどのように変わっていったかを知ることができました。 他にもモローの下絵といわれる油絵がとても抽象的で人物や雲、エンジェルが宙を舞っている・・・など観る人それぞれがいろいろ想像できる作品があってとても印象深かったです。 また、両者のイエス・キリストを題材にした作品やモローの「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」などものすごい吸引力にその場面に入り込みました。 帰りは美術館の近所にある行きつけのディスク・ショップに寄って以下のCDを買って帰りました。 ・マーラー:交響曲第10番(クック版)  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(録音:1992年 DENON) ・リスト:パガニーニ・エチュード(初版&改訂版 完全版)  ピアノ:大井 和郎(録音:1999年 徳間ジャパン) ・パガニーニ:24のカプリース  ヴァイオリン:マイケル・レビン(録音:1958年 EMI)      

インバル/東京都交響楽団 [新]マーラー・ツィクルスⅣから

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東京芸術劇場リニューアル記念 エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団  マーラー 交響曲第9番 ニ長調 於:2014年3月15日 東京芸術劇場 地方からわざわざ出掛けた価値のある演奏会でした。 私がきいたのは3階席でしたが冒頭、ホルン、チェロそしてハープで紡ぎだされる1音1音がこちらにもクッキリときこえてきました。そこへ第1主題が入ってくると湖上をボートに乗って漕ぎ出すみたいになめらかで清らかな響きでした(交響曲第7番の第1楽章序奏のテーマのインスピレーションを受けたのがこうゆうシチュエーションだったと作曲者本人が奥さんのアルマに伝えていますが、この交響曲も彼の生活環境を結びつけるものが感じられます) 曲が展開部に入ると会場に打ち鳴らされるシンバルや打楽器による音のパワーもきき手に恐れや怯えといったものを与えます。この部分から後半部にかけて頭に浮かんでくるのは船が沈没して海に投げ出された乗員・乗客が漂い、助けを求め手を上げもがきながら波に呑み込まれていっていってします姿です。 第2楽章はオーケストラの響きにキレがあり遅いところから速くなったり、強奏される時のレスポンスが良くて場面展開を見事に切替えていきます。第3楽章も同様で、対位法的な箇所ではマーラーの作曲技法の円熟をきき手にアピールし、442小節から頂点を迎える音楽は熟れた果実のように後は腐敗していくように―それをわかっていながら目を背け狂乱しおぞましい世界が繰り広げられます(昨日と同じ今日が来てくれることを当たり前としているかのように・・・)インバルの指揮は音楽に没入しすぎないで的確なコントロールをしているように感じました。それが「音楽に入っていかない」というわけではないのが彼のマーラーに特徴的な冷静さと熱気が融合しています。 第4楽章ではそういった持ち味を存分にきけました。 一回きりのナマ演奏なら情緒たっぷりに乗り切ってしまうことも可能な音楽をハイドンが種をまき、ベートーヴェンが地位を確定させ、続くロマン派のブラームスなどが力を注ぎブルックナー、マーラーにより「ソナタ形式」を金科玉条として特にドイツ、オーストリア音楽圏で恐竜のように進化した「シンフォニー」というジャンル。それがこの交響曲では「徹底的に」朽ちて滅びていく姿としても解釈できるような演奏と思いました。それが宗

今週の1曲(8)~ポンキエルリ:「時の踊り」

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今週、家族と共に東京ディズニーリゾートへ出掛けました。 そこで「ディズニー」―「クラシック音楽」―「ファンタジア」というシンプルかつベターなアイデアで1曲。   「ファンタジア」といえばディズニーの稼ぎ頭ミッキー・マウスが登場するデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」が有名ですが、私個人として面白かったのは ポンキエルリの 「時の踊り」 をモチーフにしたあまり運動が得意そうじゃないカバとかゾウとかも出て来てバレエを踊るストーリーがコミカルな印象に残っています。 「時の踊り」はイタリアの アミルカーレ・ポンキエルリ (1834~1886)が1876年に初演されたオペラ「ラ・ショコンダ」の劇中音楽です。彼はこの作品で成功するまで不遇であったそうですが、悲しいことにこれ以降は創作力が低下してしまったとのこです。とはいいながらも今日「時の踊り」のメロディーを耳にすることはあっても「ラ・ショコンダ」の舞台に巡り合う機会はまれで、私も接したことはありません。 オペラのストーリを説明していたら長くなってしまうので超簡単にすると、17世紀のヴェネツィアを舞台にした歌姫「ショコンダ」の悲劇で原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲に基づいているそうです(本当に簡単ですみません)なかなか血なまぐさそうでマスカーニやベッリーニあたりのオペラまでが守備範囲の方なら十分楽しめそうな内容です。 「時の踊り」は第3幕第2場で演奏されるバレエ音楽ですが初演当時オペラ上演の際にはバレエの場面を入れるのが習慣というか鑑賞とされていたためストーリー展開とはほとんど無関係です。オペラ本編とは関係無い音楽で後世に名前が残っているのは皮肉なポンキエルリ。。。 曲は「夜明けの時」―「昼間の時の入場」―「昼の時の踊り」―「夕方の時の入場」―「フィナーレ」という1日の時間経過を表現しているそうですがそんなことを考えずにきいても耳にすぐ耳に入ってくるメロディーに彩られています。 《Disc》 やっぱりこの種の曲はカラヤンかオーマンディか?しかし、あまりにもメジャーな選曲なので演奏はチョットひねって私の偏愛指揮者 フェレンツ・フリッチャイ (1914~1963)で。とても小品を手掛けているとは思えないくらい力が入っていて、特にフィナーレにかけての一心不乱の音楽への没入は「これじゃやっぱり早死にしちゃうよ」

今週の1曲(7)~ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲

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今週ご紹介するのはチェコの作曲家 アントニン・ドヴォルザーク (1841~1904)の ピアノ三重奏曲第3番ヘ短調作品65 です。 この組み合わせでは次の第4番ホ短調作品90が「ドゥムキー」という副題もついていて有名ですが、それがボヘミアの民族色を前面に押し出した作品に対してこちらの第3番は彼の才能を見抜き世に紹介してくれたブラームスからの影響やリスペクトがあるように思われます。 ブラームスは室内楽の大家でもあり、ピアノ・トリオも書いています。当然、ドヴォルザークも感化されていたと思われ、2曲のピアノ五重奏曲や14曲の弦楽四重奏曲などにも名作があります。 この曲は1843年42歳の時に作曲後に改訂を施され同年に初演されました。前年に母親を失った悲しみの影があるといわれます。 第1楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ。冒頭のヴァイオリンが高音で悲痛なメロディーを奏し、そこへ慰めるようにピアノが入ってきてきますが一緒になって泣き出してチェロも加わって嘆く―しかしそれでも曲の構成が崩れません。 第2楽章アレグレット・グラツィオーソはスケルツォ風の動きのある音楽で、弦とピアノのリズミカルで活発で小気味よいので雪原をそりで駆け抜けていくみたいです。 第3楽章ポコ・アダージョは美しいメロディーが歌い上げられ、この全体的にピーンと張りつめた感じのある曲で唯一ゆったりと音楽に浸れる場所です。 第4楽章アレグロ・コン・ブリオ。冒頭から荒々しく、熱っぽい民族舞曲のリズムに乗って音楽が進みます。そこに力強さ伝わってきてきいているこちらも熱くなります。 《DISC》 やはり「定盤」 スーク・トリオ (ピアノ:ヤン・パネンカ、ヴァイオリン:ヨゼフ・スーク、チェロ:ヨゼフ・フッフロ)がいいと思いますが、久しぶりに改めてきき直して感じたのは曲がそうなのか圧倒的にスークのヴァイオリンが主導しピアノとチェロを従属している印象を受け、曲が持っている荒々しさ、粗野な面を整えてきかせる演奏と思いました。