今週の1曲(27)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番

先日、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番K.515をご紹介した際に、この分野における「ジュピター・シンフォニー」のような作品で、第40番ト短調シンフォニーに比べられるのが第4番ト短調K.516であると申し上げました。なので第3番をご紹介しておいてこちらも傑作である第4番をご紹介しないのはもったいないので今週は

モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516です。

彼の記録していた作品目録によると、第3番完成後の約1か月後、1787年5月16日に完成したと記されているそうです。
第3番が堂々たる構成力で外に放射する力に満ち溢れている音楽に対して、この曲はとってもで内向的でジックリ向かい合いたい曲です。

第1楽章アレグロは焦りを煽るようなリズムと痛切な哀しみを伴うメロディーでインパクトがあり、激しさ、厳しさが伝わってきます。
第2楽章はうつろな感じのメヌエットで、そこには舞曲から連想する愉しみはありません。トリオでは一瞬、天使が舞ふ牧歌的な風景が見えますが、それを断ち切るようにメヌエットが戻ってきます。
第3楽章、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。ここでやっと安らぎをもたらす宗教音楽のような浄化された音楽がきかれます。モーツァルトの書いた緩徐楽章でも最高クラスに入るでしょう。
終楽章は絶望してヨタヨタ歩く人間を想像するアダージョの序奏から開始されます。そこから主要部のアレグロへと続いていきます。明るいロンドなのですが、心ここにあらず、というか目に涙を溜めながら「泣き踊り」をしているみたいで、第3番にあった充実感・高揚感は存在せず、虚無感が漂っています。

モーツァルトの音楽は明るく、楽しく、美しい―もっといえばクラシック音楽は心を清らかにして癒すものとして気楽にきくものと思い込んでいる人にきいて欲しい。

クラシック音楽はそんなものではないと感じるはハズ。

ききてはクラシック音楽から発見や関心、驚き、恐怖=デモーニッシュなもの、時には怒りや反感を受容できなければならないと思います。またそういった音楽でなければ面白くもないし、それを理解できていない演奏家もまっぴらごめんです。

既に「絶滅危惧種」「死に体」ともいえるクラシック音楽と付き合っている奇特な人種なのですから ―それくらいの心がけできくべきだと思いま す。

《Disc》
これも第3番のクインテットと同様にジュリアード・カルテットジョン・グラハムのヴィオラが加わった演奏で。

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