『ニーベルングの指輪』完聴記(3)

自分が年齢を重ねるとほんの10年前なら躊躇なく挑戦したことが今では必ずその前に立ち止まって失敗を恐れて」
「やっぱりやめておこう」となることが多くなりました。
それはそれで経験値が上がっていることになるのでしょうが、後で「やっておけばよかった」と後悔することも多々あります。
 

この「ニーベルングの指輪」第2夜にあたる楽劇「ジークフリート」はヴォータンが中心となっていた神の世界が「恐れを知らぬ者」
イケイケどんどんの若者ジークフリート(ヴォータンの孫にあたる)へと世代交代が軸となっていきます。

しかしこの楽劇、前半から中盤まで深い森が物語のほとんどを占め登場人物も少なく(中盤まで男声しか登場しない)物語も大きな起伏があるわけではないのできき続けるのがしんどくなってきます。さすらい人(ヴォータン)とミーメのクイズ場面(第1幕第2場)などは前2作までのストーリーのダイジェストのようになっていてまるでライトモチーフの復習ではないか?と思いながら「ラインの黄金」からきいてきているきき手にはしつこく感じる箇所ではないかな?とも考えます。

そしてそうした試練!?が延々と続き第2幕第3場でやっと大蛇(アルベリヒ)とミーメを倒したジークフリートが鳥の声が理解できるようになった瞬間に小鳥の女声エリカ・ケートが登場するとホッとすると同時に視界が開けたような解放感があります(ワーグナー自身は小鳥役にボーイ・ソプラノを指定しています)

私は戦争映画「Uボート」を思い浮かべてしまいました。
第2次世界大戦におけるドイツの潜水艦(Uボート)における乗組員が極限状態・不条理(戦争自体が不条理なものですが)に次々直面する内容ですが、主役は「Uボート」自身で艦長以下乗組員の面々も、そしてわずかしか登場しない女性。本当にストイックな映画でこの楽劇に通じるものがあります。



そしてこの楽劇で重要なことは作曲期間に大きな断絶があることです。
彼自身このニーベルングの物語に基づく4部作完結は半ば諦めてしまったと思われるように楽劇「トリスタンとイゾルデ」、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を完成させたのち再び作曲に取り掛かった第3幕、そういった詮索をしなくても雄弁壮大な前奏曲からはこの作品へかけた意気込みを自然とききとる事が出来ると思います。

そして、第3幕第3場で前作「ワルキューレ」終幕ヴォータンがローゲの炎でブリュンヒルデを眠らせて勇者しか近づけないようにしてある岩山へとジークフリートがたどり着き、妨害するヴォータンの槍を砕き、炎を超えてブリュンヒルデを目覚めさせ「太陽よ、ごきげんよう」と歌い出すまでのオーケストラによる間奏は時間を超越した―パッとした目覚めではなくて、永い眠りから目を開き、視界が徐々に広がってくる様子が見事に表現されていて、そしてここでは何と言っても「目覚めの動機」とされる2つの和音がとても新鮮で、それは当時の聴衆に与えた驚きと共に同業者への計り知れない影響があったと思います。

そこにきこえる音楽は「マイスタージンガー」「トリスタンとイゾルデ」を作曲した事により一段と進化していることを感じます。

音楽の進化をききとるにはその場面に続きジークフリートが終始やわらかい音楽で愛を盲目的に歌うのに対して、ブリュンヒルデはトゲトゲしさ、緊張感のある音楽でこの先の神々の終末、この愛の悲劇的結末までを見通した歌が並立して一致しないまま幕を閉じるところまで実感します。

*先が見えない若い男と先を見ている年上の女性、このカップルはまるでR.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」にも通じる「あはれ」を漂わせています。

最後になってしまいましたが主役2人ジークフリートのヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンヒルデのブリギット・ニコルソンは十八番でもあるため堂々として張りのある声に圧倒されて納得の歌唱です。
ベームも滑らかでないごつごつした響きで、このきき手に労苦を与える音楽を真正面からとらえて演奏しています。

[配役]

 ジークフリート…ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
 ミーメ…エルヴィン・ヴォールファールト(T)
 さすらい人…テオ・アダム(Br)
 アルベリヒ…グスタフ・ナイトリンガー(Br)
 ブリュンヒルデ…ビルギット・ニルソン(S)
 ファフナー…クルト・ベーメ(B)
 エルダ…ヴィエーラ・ソウクポヴァー(A)
 森の小鳥の声…エリカ・ケート(S)

 カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
 


 1966年7月29日 バイロイト祝祭劇場(ライヴ)

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