ショスタコーヴィチ:交響曲全曲完聴記(その4)

バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団によるショスタコーヴィッチの交響曲全曲試聴シリーズの今回は第7番ハ長調作品54「レニングラード」をききます。



第二次世界大戦におけるドイツ包囲下にあるレニングラード市内で作曲され、第7番・第8番・第9番は戦争三部作ともいわれます。
1942年に初演されるとともにイギリスやアメリカなどにおいてもファシズムと戦うための戦意高揚音楽のような大々的な扱いを受けていたそうです。その好評ぶりに当時アメリカで不遇をかこっていたバルトークは嫉妬してか皮肉たっぷりに「国家の奴隷になってまで作曲家するヤツは馬鹿者」みたいなコメントを残しています。

各楽章には戦争を意識させる「戦争」「回想」「祖国の荒野」「勝利」といった副題が付けられていましたが初演時には全て削除されたそうです。

第1楽章、ショスタコーヴィチらしい?明快で分かり易い始まり、いかにもききて(ソ連共産党)を騙すためのテクニックのように感じます。田園的で確かに耳になじむ美しいメロディーではあります。そこに侵略のテーマといわれるメロディーが小太鼓によって示されますが最初フルート・ソロによるのであまりにものんきにきこえて―平和に暮らすところへ遠くからドイツ軍がやってくるという表現なのかもしれないですが、何とも危機感が少ないものです(それも12回!も繰り返される)あまりにも開放的にきこえるのでまるでドイツ軍が解放者!?では?と思ってしまいます。
そのテーマが次第に牙をむいて侵略が始まります・・・軍靴に踏みにじられる大地、銃撃、ダイナミックな音響に圧倒されます。その後しんみり調の音楽、戦禍による人々の嘆きを歌っているようですが、明日への希望を与える感じがなんとも予定調和的な印象で全体的なストーリーが読めてしましそうです。
第2楽章、ひっそりとしたオーボエ・ソロの情感あるメロディーからはじまります。そこへクラリネットが素っ頓狂な―高音で奇声を発しているように吹かれて、ききてが驚いているところにスケルツォを思わせる動きが戦争を回想しているように思われ、嫌な記憶が駆け巡った後に再び冒頭の静けさが戻って来て楽章を閉じます。
第3楽章、弦楽合奏によるエレジーは第5番・第6番の緩徐楽章を思わせ、木管楽器のハーモニーはコラールのように響く長大な楽章(この演奏では約18分)
寒々として広々としたロシアの大地が(実際目にしたことはありませんが・・・)浮かんできます。しかし、7分位のところでマーラー風の急な転回が訪れます。また戦争だ!それがひとしき暴れた後には穏やかな曲調となり楽章冒頭のイメージが回帰してきて、そのまま「勝利」と名付けられていた第4楽章にそのまま突入していきます。激しい音楽の乱舞にききては飲み込まれてしまいます。
ベートーヴェンの交響曲第5番―例の「タタター」orマーラーの交響曲第5番の第1楽章冒頭トランペットにより吹かれるメロディーからかヴィクトリー「victory」を模倣したのか?そのモチーフが延々とにぎやかになったり、ゆるやかになったりと目まぐるしく―私には正直、支離滅裂にきこえてしまいショスタコーヴィチが何を訴えたいのかききとれません。
曲のクライマックスは交響曲第5番以上にカッコつけて立派で重厚につくってあります―しかし冷静になってきいてみると居心地の悪さというか、曲の目的が見えてきません。

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