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ブーレーズのマーラー(2)

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マーラーの交響曲の演奏では改めて言うまでもなくバーンスタインが筆頭に挙がってきますが、彼の感情移入たっぷりの涙と慟哭でいっぱいにされた後、立ち上がれないほどの重荷を背負わされたような―そこにはバースンタインのケレン味も感じる場合もありますが―ブーレーズ盤は当然そんな音楽はきこえてきません。 決めれたサイズ、規格で出来た精密機器のように、まさに「冷たい」と表現したほうが良いというものですが、これは彼の演奏なら予想されたことです。まるで「泣きたければ泣け」と言われているみたいと感じる方もいるかもしれません。 マーラーの交響曲というのは大音響で「聖」と「俗」が入り組んだ複雑なスコアで様々な楽器が、それはもうハイドンやモーツァルト、それからベートーヴェンといった人達のものより何倍も盛り込まれ、音の洪水みたいになっている音楽なので録音状態はいい方がきき易く「マーラーの交響曲は大音響で鳴っていればOK!」というきき手の方にブーレーズ盤はお勧めできます。 マーラーの交響曲第7番は「夜の歌」という副題が付いていてもなかなか評価が定まらず「支離滅裂な作品」とされていますがブーレーズの交響曲全集の録音中、一番高く評価したいです。 私のマーラーの交響曲体験は「大地の歌」(これを交響曲とするかは意見がいろいろありますが)から始まり第9番の次くらいにきいたので結構早い段階で接してきたせいかも知れませんが、一番彼の交響曲でピン!ときた作品なので最初、評価が低いと知ってショックでした。 第1楽章の混沌とした世界(独特なテナー・ホルンによる音色が印象的)第2・4楽章の憂いを帯びていながらも優美な音楽。ギターやマンドリンまでも使用したその響きにも魅かれました。その音楽に挟まれた不安や焦燥感をもった第3楽章のスケルツォ。そして第5楽章の歓喜?狂喜?ともいえる爆発的な音楽。初めてきいた時は人類の終わりを前にして羽目を外した大騒ぎではないか?それともベルリオーズの「幻想交響曲」の終楽章ではないですが―死後の地獄絵図をきいているみたいでした。 ブーレーズ盤の話に戻りますと、彼は第5番から始まった「純器楽」による交響曲のひとつの到達点として演奏しているように感じ、本当によく楽器がなっています。それは冷たいだけではなくて、例えば第4楽章のヴァイオリンがとても甘美なメロディーを演奏しています。 オー

ブーレーズのマーラー

私が音楽をきき始めた頃、ちょうどマーラー交響曲全曲演奏会みたいなものが最盛期で(不景気とは言われながらもまだまだ好景気時代の余韻がありました)シノーポリ、ベルティーニ、若杉弘さんの演奏をNHK-FM中継できいた覚えがあります(3人の指揮を全曲ではありませんが・・・確か若杉弘さんの演奏会の中継放送は途中で放送しなくなったような気がします。。。) ほぼ同時期にこのような演奏会があったことは今になって考えてみればクラシック音楽が投資対象として主催者も儲かった最後の頃かもしれませんが、当時は「マーラーの交響曲が全曲きける!」ということのイベントに喜びを感じていました(長大なマーラーやブルックナーの交響曲やオペラの全曲のCDを買う金銭的ゆとりが無かったことと共にそれを購入しても理解する耳を持っていなかったという理由もあります。しかし、今はゆとりと理解する耳を持っているのか?と問われると言葉はありませんが。。。) さて、彼の交響曲をきいて感じたのは様々なメロディーとハーモニーそして交響曲とは思えない楽器、カウベル、ハンマー!などの音響に驚き、合唱の迫力に押され、圧倒されました。最初はその音の響きとパワーをきくのみでした。 その後、ピエール・ブーレーズがマーラーの交響曲を様々なオーケストラを振り分けてグラモフォンに録音を始めたと知った時は「ブーレーズ、あなたもか!」と感じ、どうせブランド志向のディスクになるのだろうなぁ~と想像し「知的な闘志」と思っていた彼もいよいよ大衆迎合するようになったのかと半信半疑で第1弾だった第6番「悲劇的」をききました。 一番最初に思ったのは第6番がCD1枚!?ということだった。長時間収録が当たり前のCDでもこの曲がCD1枚に収まるのには相当テンポが速いのでは?という思いは裏切られつつその予想が当たっている所もありました。 まず第1楽章のあの葬送行進曲のような暗いテーマがズンズンと遅いテンポで重厚でありながらクリアな音で始まり驚いた・・・と書いて今日は第7番のことについて述べるつもりだったことを思い出しました。もう少し書くとテンポでいえば全体に遅めであり、特に印象深いのは第3楽章の出だしが小さい音で、まるでブルックナーの交響曲における第1楽章の始まりみたいな感じを受けました。 しかし、前振りが長くなってしまったのでこの辺で切り上げ、続