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今週の1曲(19)~R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

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ここ連続して R.シュトラウス の作品をご紹介していますが、彼の作品の代名詞でもある交響詩を1曲も紹介しないのは申し訳ないのでここで登場していただきます。 交響詩「ドン・ファン」 作品20 別に「英雄の生涯」でも「ツァラトゥストラはこう語った」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ドン・キホーテ」などでもいいのですが中でも一番きいたことのある回数を考えるとたぶんこの曲が多いと思うので取り上げました。 しかし、彼の交響詩はストーリーがあまりにも通俗すぎ、オーケストラの響きに頼りきっている感があって以前は「凄いなぁ~!」「カッコいいなぁ~!」といってきいてきましたが―作曲者自身の自己顕示欲のようなものを感じる時があってウザくなる事があります―この曲でも女性を表すとされるメロディーが次々と出てくるのですが、それに陶酔すると同時に「どんなもんだい、こんなにも書けるんだぞ!」と自慢されているようにもきこえます。 R.シュトラウスは「マクベス」作品23を先に先に書いていましたが、1888年に発表、翌年に初演された交響詩が「ドン・ファン」で、出版が前者よりも先になったのでこの曲が彼が書いた初の交響詩として聴衆の前に現れました。 「ドン・ファン」とは中世スペインの伝説の人物。イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―モーツァルトのオペラをはじめとして様々な音楽家が作品化しています。R.シュトラウスはそれをニコラウス・レーナウ(ハンガリー出身でオーストリアで活動した詩人。1802~1850)の詩に基づいて書かれたのがこの交響詩です。 冒頭の爆発するようなメロディーからドン・ファンを表すテーマが理想の女性像を求めるように次々とメロディーが登場してきます。そのふたつの旋律との絡み合いからクライマックス―これは酒色にふけって自堕落な生活をしているドン・ジョヴァンニ表現していると思われます―それに飽き失望し熱が冷め、自滅していく・・・他の彼の作品でも何度も使われる手法ですが、盛大にオーケストラを鳴らした後に消入るように静かに曲を閉ます。 *この曲を静かに終わらせて「死」や「消滅」を意味するような方法が R=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」(初演1888年)や、 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(2曲と...

今週の1曲(18)~R.シュトラウス:管楽器のための交響曲「楽しい仕事場」

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今週も生誕150年の リヒャルト・シュトラウス の作品から 管楽器のための交響曲第2番 変ホ長調 「楽しい仕事場」 副題のような理想的な所があったらどんなにかいいかと思ってしまうのは横に置いておいて(^_^.) この作品は彼の晩年、そして第2次世界大戦中の1945年に書かれました。ちなみに第1番も当然あってこちらには「傷病兵の仕事場から」という標題がつけられています。 4つの楽章から出来ていて先週の小二重協奏曲と同様に大音量のオーケストラできき手を圧倒するといった作品ではなく、小編成(12本の木管楽器とホルン4本)のアンサンブルのための曲でモーツァルト時代のセレナーデとかディヴェルティメントのような雰囲気をもっています。 第1楽章のアレグロ・コンブリオでは別の作品のテーマにする予定だったといわれる素材が織り込まれていたり、どっかできいたようなメロディー(例えば「英雄の生涯」など)がきこえてきて滅法楽しめる楽章です。 第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエットとここではまさにR.シュトラウスが敬愛するモーツァルトへのオマージュを捧げているのだろうなぁ~と感じる優美な音楽です。 終楽章はアンダンテの導入からアレグロの主要部からなる演奏時間約40分のうち3分の1位を占めます(この楽章のみ最初第1楽章として構想され1943年作曲されたといわれています)暗い導入部は思わせぶりでその後には生き生きとした動きのある音楽がきこえてきます。 心身疲労や敗戦濃厚な空気により創作意欲が衰えつつあった時期の作品といわれていますが―といってもこの頃80歳を超えていたということを考えれば当然といえば当然ともいえますが―しかしこの作品をきいていると作曲・演奏する楽しみや喜びを決して無くしたわけではないと感じます。老人のような干からびた(失礼)音楽ではなくてツヤっぽさもあって、まだR.シュトラウスここにあり!と示しているようにも感じられます。 《Disc》 オーボエの名手、現在では指揮者・作曲家としても活動している ハインツ・ホリガー が ヨーロッパ室内管弦楽団の管楽メンバー と1993年に録音したものがとてもイイです。 当時若手奏者により結成されたオーケストラの仲間たちがまさに「楽しい仕事場」で音楽を奏でているゴキゲンな感じが伝わってきます。 ホリガーは指揮...

身辺雑記(番外編)~NHKドラマ「ロング・グットバイ」感想

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今日はクラッシク音楽ではなくてTVドラマを観ての感想です。 NHKドラマでアメリカの作家レイモンド・チャンドラーが書いたハードボイルド小説 「ロング・グットバイ(長いお別れ)」 をベースにその舞台を日本にしてアレンジを加えたドラマが始まりました(全5回シリーズ) 原作をハードボイルド小説にハマった20歳代に「マルタの鷹」(ダシール・ハメット著)と「深夜プラスワン」(ギャビン・ライアル著)と共に何度も読み返した作品なので興味深々に観ました(まだ時間の関係で第1回を観ての感想です) 1番感じたのはチャンドラーの気の利いた、またアイロニーに満ちたセリフや場面の演出に関心があったのですが、裏切られてしまいました。。。 ・フィリップ・マーロウが泥酔しているテリー・レノックスを「ダンサーズ」で目撃し自分の車に乗せる場面でその手伝いをしてくれた白服(ドアボーイ)が酔っ払いと関わるなんてもの好きな人間だと言われて 『そうやってこここまでのしあがったわけだ』 と言葉を返す所。                                     (村上春樹訳 ハードカバー版9ページ) ・マーロウとレノックスが親しくなり「ヴィクターズ」で飲み交わすようになってカクテルの「ギムレット」を飲んでいるときに 「本物のギムレット」 について語る場面  (同 28ページ) ・ 開店直後のBARの居心地の良さについて語るところ    (同 34ページ) (この意見は自分もそう思って仕事帰り開店直後のBARによってジン・アンド・イットやモルト・ウイスキー、もちろんギムレットも!飲んだことを思い出します) と、いったセリフ・場面が全て置き換えられていました―こういった場面に期待したのに(+_+)―このさき先にも名セリフや名シーンがたくさんあるのに心配です。。。 そして登場人物のキャラ設定もかなり変わっています。例えば原作では大手新聞社の代表でありながら写真も撮らせない、インタビューにも応えない―裏で社会を操る謎の人物「ハーラン・ポッター」を政界を目指す悪徳政治家風な感じにしていました。なんだか 「マーロウ対ポッター(政界・財界を象徴する人物としての」的 の NHK好みの 「社会派ドラマ」 にしてしまっているような雰囲気が残念です(第1回以降を観る意欲が無いのはそ...

今週の1曲(10)~ブラームス:大学祝典序曲

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新年度がスタートして新しい生活が始まるのにふさわしい(そうじゃない人ももちろん)音楽をご紹介したいと思います。 ブラームス 大学祝典序曲 作品80 ブラームスの作品をきくとほとんどがシブイ曲ばかりで生涯この人、笑ったことないんじゃないか?と思ってしまいますが、この作品は作曲者本人いわく「笑いの序曲」とのことで確かに彼には珍しく異常に喜びに満ち溢れている音楽です。 曲が書かれたのは1880年、前年の1879年にドイツ、ブレスラウ大学の名誉博士に選ばれたことへの返礼として作曲されました。しかし、その2年前の1877年にもイギリス、ケンブリッジ大学からも音楽博士にと申し出があったのですが授与式のために船旅をするのを嫌がってボツになっていたということでブラームスらしい面白いエピソードです。 曲の内容は4つのドイツの学生愛唱歌を基に自作のテーマを織りこまれた陽気でバンカラ(表現が古すぎ!)な学生たち―北杜 夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を連想し―目に浮かぶような音楽に思います。 開始はハ短調で―入学式で初めて門を入っていく様な不安な感じみたいなところから美しさを加えて、45小節から歓喜がやってくるという、それからの展開への期待を高めてくれます。また、この曲を初めてきく方でも157小節から^ファゴットで呈示される「新入生の歌」のメロディーはテレビとかラジオなどで使用されることもあるので(放送大学などのアカデミックな雰囲気を演出したい時のBGMに使用されます) 私はこの曲をきいているとマジメな人が羽目を外した時に変な面白さがあるのと同じ―ただし、周りの人間は反応に困りうつむいてしまう感じによく似ています。そんなことに我に返ったのかブラームス。同時期に双子のように「悲劇的序曲」作品81という曲を書いて、バランスをとっています。(ごまかして?)います。こちらは「大学祝典序曲」を「笑いの序曲」と呼んだのに対して「泣く序曲」と呼んだそうです。 《Disc》 演奏時間が10分程度なのでブラームスの交響曲のおまけのように入っていますが(演奏もそういったことが伝わってくるものがあります) 不思議なことに全交響曲をレパートリーにしていても「悲劇的序曲」は演奏するのに「大学祝典序曲」は取り上げない(ただ録音自体が残っていないという場合もあるかも知れませんが)指揮者...

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

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シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF...

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

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地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

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先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。