アーノンクールのポストホルン・セレナードと「ハフナー」交響曲

現在「巨匠」といえる指揮者が払拭しているなかでほぼ唯一その称号に値するであろうと私の思い浮かべる名前「ニコラウス・アーノンクール」その彼が手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと2012年に再録音したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン・セレナード」と交響曲第35番「ハフナー」をききました。




まずセレナードに先駆けて前座のように演奏されたといわれている行進曲ニ長調K.335(320A)が始まります。そのスピード感と鋭い響きに驚きます。オーボエやホルンのソロでのフレージングもドレスデン・シュターツカペレとの1984年の旧録音がのどかに感じるほどです。それは当然楽器の違い、30年近い歳月が経過したことも影響しているかもしれませんがアーノンクールが年齢を重ねもう半世紀以上の付き合いになっている仲間達と本当に表現したかったことをやっているようにも映ります。
セレナードも行進曲の勢いそのままに始まり、彼が音楽で標榜し、著作でも述べている「言語としての音楽」を実践しているものです。それぞれのフレージングが徹底的に洗い流されていて各楽器が掛け合い、語り合います。それは第2楽章や第6楽章のトリオ部ではっきり示されているように思います。
第5楽章アンダンティーノは歌劇「フィガロの結婚」の最終幕でバルバリーナがピンを落としたといって暗闇を探す場面やピアノ協奏曲第18番K456の第2楽章を思い浮かべますが、その情緒ある音楽は音楽に身を浸すというより、ひんやりしていて悲壮感も漂わせています。


交響曲第35番「ハフナー」も同様な解釈ですが、第1楽章のテーマの響きはワルターやベームとは違い―彼らが「ロココの作曲家モーツァルト」という見方に立っていたのに対して、アーノンクールはフォルテの刺激的な鳴らし方などで、当時どんな作曲家よりも新しい響きを作ることのできた「前衛音楽家モーツァルト」を知らしめます。でも、第3楽章メヌエットではフト軽めにしたトリオととても踊れないリズムのメヌエットとの対比がいいです。第4楽章プレストの曲の終わり手前でグッとテンポを緩めて、きき手じらすようにしてから―再加速して終止するところなど「ちょとあざとすぎない?」と思いながらもここまでやられると納得させられます。



こちらは旧録音で入退場に使用されたといわれる2曲の行進曲を収録。

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