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ショスタコーヴィチ 交響曲全曲完聴記(その8)

今週の投稿は交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」です。 前作の第11番に続きロシア革命を描いた第2作めといえるもので、1905年を書いたのだから1917年も書こうという意気で作曲したのだろう。 第1楽章 「革命のペトログラード」 旧サンクトペテルブルク、後にレニングラードとなった都市。低弦群が奏する導入部の暗いこと!主要部になるとアレグロになって闘争的な音楽でクライマックスをつくる。レーニンを描いた作品を書きたかったといわれるショスタコーヴィチ、ここで「レーニン讃歌」にしているのだろうか?躍動的というか高揚感というかシンバルなどの打楽器から金管楽器のあまりの激しい仕事ぶりにめまいがしてきそう… 第2楽章 「ラズリーフ」 密かにロシアに入国したレーニンが潜伏したペトログラード北部の湖の名前で、そこで革命のプランを練ったようで、音楽もそれを連想するように低弦が静かに暗い部屋でひとり物思いに沈むレーニンの姿を想像できる音楽です。中間部でフルートとクラリネットが印象に残るメロディーがあります。そこにふとトロンボーンが荘重に響きますが、これは前に出てきたテーマの再現みたいで、革命へと歩みを進めるレーニンの心情を感じさせるものです。 第3楽章 「アウローラ」 ネヴァ河から冬宮へ砲撃を行って、革命開始の合図を送った巡洋艦の名前で(でも実際に撃ったのは空砲)日本海海戦の数少ない撃沈されなかった艦です。 ゆっくりと姿を現した艦が目の前に現れるようにして音楽がまとめられていき、ティンパニや打楽器が刻むリズムが砲撃のテーマと思われます。 冬宮を占拠するところはまたハデハデな演出。 第4楽章 「人類の夜明け」 大昔のプロレタリア革命の人が平気で名付ける赤面しそうなネーミングの終楽章。 でもそれがこのシンフォニーのいちばんのテーマでしょう。第11番の終楽章は「警鐘」となっていて革命の道未だ成らずと、亡くなった人への悲しみ、弾圧する政府への怒りのうちに終わったものが、この第12番では完結した事を実感させます。 今までのテーマが再現されて階段を登るようにしてクライマックスへと到達させますー 個人的にはこうノーテンキに万歳万歳とばかりに祝砲と讃歌のうちに大団円という音楽には違和感を持ちますが、ここがショスタコーヴィチの魅かれるところで、職人技なの

ショスタコーヴィチ 交響曲全曲完聴記(その7)

とっても投稿が滞っていましたが(⌒-⌒; ) ボチボチとアップしていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。 まずは途中までになていたショスタコーヴィチの交響曲完聴記からー 演奏はルドルフ・バルシャイ指揮 WDR交響楽団 交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 1957に初演された作品。 第10番がスターリンが死んで良かった!といった気分の伝わってきた作品でありましたが、このシンフォニーは体制迎合しました。という顔つきです。 1905年1月に起きたロシア革命の始まりといわれる、皇帝に請願しようと集まってきた民衆を軍隊が発砲してその数1000人を殺害したといわれる「血の日曜日事件」をモチーフとした交響曲です。 第1楽章「宮殿前広場」 圧政に耐える民衆を思わせる重く暗い始まりに革命歌も引用されて不穏な空気が漂います。冬の雲が厚く覆った冬空のもとサンクトペテルブルク王宮広場に整列した近衛兵の前にはボロボロのコートを着た民衆がゾロゾロと集まって来る様子がまるでドローンで俯瞰ショットを見せたり、それに組み合わせ地上カメラが民衆や近衛兵の顔や姿を映し出すなどリアルな描写が映画のようです。 第2楽章 「1月9日」  緊張感の高まる中、音楽が不気味に響き、突如暴力的に鳴り出す。 皇帝への請願する民衆への軍隊の攻撃が始まった事が分かります。ライフル射撃で倒れる人、騎兵のサーベルが振り下ろされる人、老いも若きも、男女の関係なく行われた無差別殺戮の様子が大オーケストラを使い描かれます。 ひと通り鎮圧が済むとそこには白い雪が赤い血で染まり、死体が折り重なりゴロゴロ転がっているゾッとする光景!ここも非常に描写的であります。 第3楽章 「永遠の記録」  倒れた人々への祈りのアダージョで、主要テーマは革命歌からの引用らしいです。始めはヴィオラがメロディーを奏して、他の弦楽器はピチカートによる静かな音楽がきかれます。そのテーマを楽器を増やして展開されて盛り上がっていくのですが、やや映画音楽寄りのつくり方のような… 第4楽章 「警鐘」  激しい動きに打楽器がいかにもショスタコーヴィチっぽいリズムをつけてまだ闘いは終わっていないとばかりに意気をあげる。 色々なテーマがでてきて曲はクライマックスを迎え革命精神は倒れないぞ!と訴える。 第1楽章の主題

松本交響楽団 第74回定期演奏会

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今回も地元オーケストラ応援のため定期演奏会に出掛けました。 同伴者は小学3年生の息子。 program 1.ウェーバー  歌劇「アブ・ハッサン」序曲 2.フォーレ  組曲「ペレアスとメリザンド」 休憩 3.チャイコフスキー  交響曲第4番 ヘ短調 作品36 ウェーバーといえばもっぱらオペラ「魔弾の射手」か「オベロン」序曲くらいしかきいた記憶がないので改めてカラヤン盤で予習しておいたーそれが裏目にーこういったショーピースを贅沢にきかせたカラヤン&ベルリン・フィルで一気呵成に仕上げた演奏の後では何やらもぞもぞ始まったかと思ったらただ一生懸命にリズムを刻むのに精一杯といった印象。。。次のフォーレもピンとくるところが無かった…それにハープをキーボードで代用してるのも興醒め…でも例の「シシリエンヌ」ではフルートソロなかなかでした! チャイコフスキーはなんともバランスがいびつでオーケストラにブラスバンドが闖入してきたみたいで、チャイコフスキーをきいているときに感じるなんとも言えない気恥ずかしさが少なかった。でも木管楽器群は健闘していて、耳を魅かれる瞬間がありました。 フレージングにタメがあったーこれは指揮の丸山嘉夫さんの意図か、オーケストラの技術的な問題でそうしているのか不明ですがー昔、ソ連の指揮者、スヴェトラーノフなどがやった再現かと思いました。 コンサートマスターの三溝さんをはじめ、楽員の皆さんが真摯に音楽に向かい、情熱をもって弾く姿は、プロの仕事としてこなしている演奏に触れる事が多い自分には心に残る所もありました。 ちなみにチャイコフスキーの交響曲第4番はクレンペラーとチェリビダッケ盤が個人的お気に入りです。 前回の演奏会感想記に書いたチラシをポリエチレン袋に入れての大量配布による雑音発生について今回はやめていた事が良かったです!キチンと聞いている人が多かったと思う。 それにしても久しぶりの投稿(ー ー;)

松本交響楽団 第73回定期演奏会

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新居への引越し&ネットを引かなかったので更新がご無沙汰になってました。 ザ・ハーモニーホール会館30周年演奏会として松本交響楽団をきいてきました。 プログラム ・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 ・ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調 作品67 チェロ独奏はスロヴェニア出身のルドヴィート・カンタさん 指揮は常任の丸山嘉夫さんです。 このオーケストラについては既に色々書いているので今日はマイナス面は少なめにーみんな一生懸命弾いてるのは分かるけど、もう少し周りの音もききましょう。ホルンはもっといや、相当ガンバレ! チェロ群は少ないコントラバス群の分まで支えて大健闘していました。 また、ティンパニ奏者も存在感がありバランスよい音量でオーケストラの音色を際立たせようとしていました。 またアンコールはベートーヴェンの序曲レオノーレ!という5番シンフォニーの後のアンコールにしてはかなり難儀な曲ですが一番の熱演でした。 総督到着を告げるトランペットを舞台裏で吹かせ、2回めの時はやや近めで吹き近づいていたような立体感、ミスなく伸びやかな音でした。 あと、5番シンフォニーの終楽章の終止部でタメをつくっていて面白かったです。また、テンポもアマチュアオーケストラにしてはけっこうなもので推進力と熱気をもたらす丸山さんの指揮でした。 最後になりますがカンタさんのチェロは真っ当なきかせどころを心得ていると感じました。 ココからは今回の演奏会で一番感じたこと‼︎ 聴衆のマナーの悪さ!きっと普段音楽に触れることのない連中、というより気の回らない人ばっかし。 プログラムと一緒に大量のチラシがポリエチレンに入っていたのですがー個人的にはこのチラシ要りません!プログラム渡す時に欲しい人だけに渡すとか、出入口付近に置いておき場内アナウンスの時に案内するとか考えて欲しい。一番は音の出るポリエチレン袋はやめて下さい。自分の席の真後ろのジジイは演奏会の間ずっとパリパリ、チャリチャリ…殺意を覚えました( T_T)\(^-^ )他の奴らも演奏中にプログラム出して見るたびにカサカサ・カサカサ…殺意がふつふつと…そしてたくさんのチラシなんだから滑り落ちることくらい分かるはずなのに床にばらま

ショスタコーヴィチ:交響曲全曲完聴記(その6)

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無茶苦茶暑い日が続きますが今週も頑張ってショスコーヴィチの交響曲完聴記、今週は第9番と第10番です。演奏は例によってバルシャイ指揮WDR交響楽団です。 交響曲第9番 変ホ長調 作品70 交響曲第9番といえばベートーヴェン以来、その作曲家の最高傑作が書かれると相場は決まっていました。それもショスタコーヴィチの場合は第2次世界大戦の戦勝を祝うということで手掛けられました。当然誰もがベートーヴェンのあの「第九」のような壮大な音楽を想像しました。しかし、発表された交響曲は軽くシンフォニエッタという形式できました。 その肩透かし戦法!?により運命の神様もあきれ返ったのか交響曲第9番を書く死ぬというジンクスからは逃れてこの後まだ第15番まで交響曲を完成させました。でも、ソ連当局からは睨まれることになりました。 第1楽章、序奏なしでいきなり軽くスキップしながら口笛吹いて街中を歩いているような―ソビエト政府が対ドイツ戦=大祖国戦争の勝利を期待した魂胆を見事に裏切ってくれたショスタコーヴィチ流のペロッと舌を出しているみたいな音楽です。 第2楽章は静かで落ち着いた佇まいの緩徐楽章。その室内楽的な響きは戦勝とは真逆の精神といえるでしょう。でも、乾いたパサパサ感はショスタコーヴィチらしいです。 第3楽章、ここにきて音楽は激しさを加えて金管、小太鼓が軍隊を連想させるような音を出します。それは戦争を思い出すような表現! 続く第4楽章は次の第5楽章への橋渡しのような役割で新しい闘争の前の前奏曲といった不安で陰鬱なもので、ファゴット・ソロに導かれてフィナーレに入っていきます。 第1楽章の楽想が冷静になったみたいな音楽で悲しさが付きまといます。でも急に終わり近づくとテンポ・アップして熱狂の坩堝に放り込まれます!これが戦争に勝利してバカ騒ぎ政府の役人たちを揶揄しているように白々しくて最後は「やってられないよ!」もしくは「つきあいきれないよ!」とばかりにパッと曲を閉じます。 この交響曲は決して軽い=傑作ではないというわけでなく、むしろ彼の持っている手法がギュッと濃縮された作品といえるでしょう。 交響曲 第10番 ホ短調 作品93 第9番の交響曲でシベリア送りになりそうになったショスタコーヴィチ。批判を避けるように映画音楽やオラトリオ「森の歌」といった政府

ショスタコーヴィチ:交響曲全曲完聴記(その5)

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ショスタコーヴィチの交響曲完聴記、今週は第8番ハ短調作品65です。 演奏は例によってバルシャイ指揮WDR交響楽団です。 第7番が映画音楽風なスペクタクルの描写音楽に近かったものに対してこちらはより精神的にも深い音楽です。 1943年のドイツ軍の夏季攻勢(ツィタデレ作戦)が失敗し、米英連合軍のシチリア上陸作戦の成功、ソ連の冬季反攻作戦が行われ、イケイケムードの中で初演された交響曲。しかし、この作品からはそんな雰囲気はきこえてきません。 全曲の三分の一を占める第1楽章(このディスクでは27’27”)のほとんどが緩徐楽章ともいえるもので、冒頭の苦痛に満ちた心の奥底からの叫びのようにして奏せられる低弦のメロディー。とっても暗くて精神的な音楽でいいねぇ~!と感じます。こういったの好きです。 その暗さを時のソビエト政府は非難したと言われますがこちらの方がはるかに素晴らしいです! 第7番のようなentertainmentの勝る交響曲を書いた後にこの魂の音楽ともいえる第8番を書いてしまうのだからやっぱりショスタコーヴィチは不思議な天才であると思います。 第1楽章の中盤で突然マーチのような音楽が入ってきますが、恐怖に怯える人達(ショスタコーヴィチ自身も含めて)を描いているようです。それが静まると弦楽器のトレモロの上でイングリシュ・ホルンの長いソロが始まりますが、そこに広がるのは戦争で荒れ果てた大地があり、戦争とは何ら生産活動の無いただの破壊でしかないという虚しさを伝えています。 第2楽章はおどけたピッコロやファゴットといった木管楽器がソロイスティックに活躍するスケルツォ風の性格を持つ楽章ですが、どことなく暗い影がついて回ります。 第3楽章は規則正しい弦の刻むリズムから始まるのですが、この急迫感はソビエト軍のドイツ軍に対する反攻作戦の戦場を描いている設定でしょうか?その弦の刻むリズムは戦車のキャタピラ?小太鼓は機関銃の音?突撃する歩兵達?その地獄のようなゾッとするような恐怖が頂点に至るとそのまま第4楽章に入っていきます。それは一転して葬送のための音楽といえるラルゴで、第1楽章のイメージが回帰したような楽章です。 木管のハーモニー吹奏により始まる第5楽章、戦闘が終わり平和が訪れたかのように冷たかった空気が初春の風に変化したようになります。しかし、

今週の1曲(36)~ブラームス:哀悼の歌(悲歌)

今週ご紹介する作品はブラームスの合唱曲 「哀悼の歌」(悲歌)作品82 です。 友人でもある画家、ヘンリエッテ・ フォイエルバッハの死去に際してその追悼として1880年~1881年作曲され彼の母親に捧げられました。 シラーのギリシャ神話の「オルフェオの冥府下り」や美少年アドニス、トロイア戦争で死んだアキレスの母親の嘆きといった「死」に関するエピソードをベースに作られた詩が格調高く、フォイエルバッハの生涯は芸術家として不屈・不変のものとして描いているようです。 冒頭、 「Auch das Schone mus sterben (美しきものとして滅びねばならぬ!)      Das Menschen und Gotter bezwinget (それこそが人々と神々の支配する掟)」 と歌われるカッコイイ詩と音楽に美しすぎて息をのみます! 終わりの 「 Auch ein Klagelied zu sein im Mund der Geliebten ist herrlich(愛する者の口より出ずる 嘆きの歌は素晴らしいものだ)」 を繰り返して曲を感動的に、しかも悲しみを乗り越えるように力強く、名残惜しげに曲を閉じていくところが崇高な感じで最高です。 題名が「哀悼の歌」とあり「死」を描いているのですが、美しくロマンティックな音楽に甘美さがあってブラームスはシブ~イというイメージですが、根っこのところはやっぱりロマン派の作曲家なんだなぁと実感する作品です。 《Disc》 もっぱらマーラー指揮者という印象の ジュゼッペ・シノーポリ が チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ・フィルハーモニー合唱団 を指揮したディスクは繊細な表現が素晴らしいです。あと、FMできいた ティーレマン が ベルリン・フィル を振った演奏も力強さといった面ではとてもよかったと思いました。