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身辺雑記 コンサート・チケット購入

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長野県岡谷市カノラホールで開催される1公演500円の若手演奏家のチケットを購入に出掛けました。 これは岡谷市が『第7回緑と湖のまち音楽祭』という催事の一部で全部で4公演ある「ワンコイン・フレッシュ・コンサート」のなかから12月1日に行われる「ヴァイオリン河西絢子さん、ピアノ山中惇史の二重奏」とフレッシュというよりベテラン(失礼)で講師・ソロなどで活動中の女性達による「弦楽四重奏の夕べ」の2公演を購入しました。 2公演で1,000円という価格で新しい演奏家に出会える楽しみはありますが、往復のガソリン代より安いコンサートは初めてです(笑)   久しぶりに諏訪方面に出掛けたのですが、運転マナーについて感じたこと。長野県に諏訪ナンバーが導入される時、松本周辺の人は松本ナンバーがマナーが悪いと言われるが諏訪の運転が一番悪いのでやっとその差別化が出来ると笑い話のように言っていたことを思い出しました。 右折車両が対向直進車の僅かな合間を縫っての侵入、同じく右折車両が青信号になった瞬間、直進車両を横切り進行するという光景が頻繁でした( ̄^ ̄)   私も転勤で諏訪方面で1年間程仕事をしていたことがあって感じたことなのですが、それは地理的な原因があると思います。一番の平地は諏訪湖があってそのサイドを幹線道路(それも狭くて右折レーンが無い!)があるだけで後は生活道路の延長みたいな道路事情も影響しているのでしょう。。。しかも県内の他の地域に比べても道路行政が遅れていると思います。また全国チェーンのショピッングセンターがある主要道路の路肩が草だらけだったことも気になりました。一応、諏訪湖&温泉の観光地ですから整備して欲しいと感じました~(^O^)

身辺雑記 インバル&東京都交響楽団 [新]マーラー・ツィクルスⅨ

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当家の女王陛下兼財務長官(つまり我が家では妻をさす『尊称』!?)の認可がおりたので以前からききたかったエリアフ・インバルと東京都交響楽団によるマーラーの演奏会のチケットを購入して先日届きました(^O^) 演目は[交響曲第9番二長調] 演奏会は来年ですが今から期待大です!(2014年3月15日土曜日 東京芸術劇場)  

松本交響楽団 第71回定期演奏会

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松本交響楽団 第71回定期演奏会をききに行きました。 於:2013年10月12日日曜日  松本市ザ・ハーモニーホール 私が松本交響楽団の演奏に触れたのは中学生の時、地元の文化祭に合唱団の選抜メンバーに なってそのステージでウェルナーの「野ばら」などを歌った際に共演したのです(その当時はテノールからバスまで出せる美声!?だったのダ!)   地元の音楽祭のパンフレット 今回、定期演奏会をききに行くにあたり、いったいその前きいたのは何年前だろう?と思いパンフレットを探したら出てきて第51回の時だったことが判りました。1年に1回あるので実に20年ぶりにききました。(その時もメインはベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」でした。そして指揮は常任の 丸山嘉夫 さんです)   第51回 定期演奏会のパンフレット&チラシ   でも私がききたかったのは ベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 (トリプルコンチェルト)でした。彼の作品中「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)などと並ぶ迷作?珍作?凡作?として名高いこのコンチェルト―カラヤン=ベルリン・フィルと旧ソ連3名人(ピアノ:リヒテル、ヴァイオリン:オイストラフ、チェロ:ロストロポーヴィチ)の録音があるのでなんとなく名曲みたいな扱いを受けていますが、緻密・構成力がモットーとするベートヴェンの音楽からすると明らかに力不足だと思います。そのため、コンサートの演目にのることは稀なので(3人のソリストのスケジュールを調整しながらの練習、そのギャラの回収といったことを考えると割に合わないという理由もあって演奏されないのかもしれません)このチャンスに実演をきいてみたいと思ったからです。 第71回 定期演奏会 チラシ 第71回 定期演奏会 パンフレット   演奏会最初はモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」序曲でした。その後の演目がトリプル・コンチェルト、「エロイカ」シンフォニーと考えると「コリオラン」とか「エグモント」、メインが「エロイカ」なら「プロメテウスの創造物」序曲でも(結局「プロメテウス~」はアンコールで演奏されたのでうまく〆まりました)モーツァルトならオペラ「魔笛」序曲の方がよかったのでは?と要らぬことを考え

ひろしま美術館の印象派絵画展

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ひろしま美術館の印象派コレクションの展示を観てきました (於:長野県信濃美術館) 入って1枚目の絵から飛び込んできたのは色が暗くて、アラブ人の肌、大地の色、その3色の調和が見事な作品 ドラクロワ の 「墓地のアラブ人」(1838年) それから マネ の 「灰色の羽根帽子の婦人」(1882年) 帽子の羽根や服の繊維一本一本が立体的で驚きの作品。 あと、 セザンヌ の 「曲がった木」(1888年~90年)   油絵でありながらも水彩画を思わせるタッチ、そして日本の田園風景を写生したみたいに感じました。 セザンヌ はもうひとつ 「坐る農夫」(1897年) が展示されていました。 こちらはバリバリの茶色を基調にした土の香りまでしてくるような絵・・・ 他にもルノワール、マティス、ドガ、シャガール、同時期のピカソ、そして印象派からインスパイアされた日本人画家の作品もありました。 日本人画家では構図、暗い色、人物の感じといい、まるでレンブラントへのリスペクトみたいな 佐分真 の 「貧しきキャフェーの一隅」(1930年) 鴨井玲 の 「村の酔っ払い(三上戸)」(1973年) そこには少し狂気みたいな空気があって芸術の奥深さのほんの一端に触れることが出来た有意義な時間でした。 自宅から高速道路を使わなかったので往復2時間30分。 車中できいた音楽は以下の通りです。 ●ドビュッシー:「子供の領分」・「版画」・「ベルガマスク」組曲・「ピアノのために」                                               ピアノ:サンソン・フランソワ ●モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450/第16番 ニ長調K.451        ピアノ・指揮:マレイ・ペライア/イギリス室内管弦楽団 ●シューマン:交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」 指揮:オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団

『ニーベルングの指輪』完聴記(4)

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ついに 「ニーベルングの指輪」完全聴破も「たそがれ」編!! 本日はその 第3夜楽劇「神々のたそがれ」 あ~長かった、くたびれた。。。というのが第一印象。 ここ1か月ワーグナーの音楽が連日頭の中でグルグル回り、彼の音楽は「麻薬」といわれるけれど本当にそうです! そして上演に5時間超!序幕と3幕11場!!というオペラの恐竜みたいなきき手にも演奏家にも体力・精神力を要求する作品。4部作の最後を飾るにふさわしい規模をもっています。 対訳本上下巻で660ページを超える!   この作品で気が付くのはワーグナーが一度否定して廃した「重唱」が目立つことです。 *複数の人物が同時に違う歌詞を歌うのはドラマ的ではないとして「オペラとドラマ」という論文で書いているそうです。 そういった面では「ジークフリート」が新しい響きに満ちていたのに対してこの作品はオペラ的な感じがするのできき易いかもしれません。 第1幕第2場ヨーゼフ・グラインドルのハーゲンが独白する場面ではこのキャラクターが持っているとてつもない腹黒さが見事に表現されています。 ジークフリートと妾腹の子である自分の身分の差を比べつつも自らの計略第1段階が成功したことに喜びつつ 「das Niblungen Sohn」 (このニーベルングの息子に) と歌う瞬間はゾッとします。 第2幕第5場、裏切られたと思い込んでいるブリュンヒルデ、迷うグンター、指輪を手にしたようにほくそ笑み3者の思惑が入り混じりながらジークフリート殺害の陰謀が仕組まれるところ―グンターが歌う 「Sigfred Tod!...」(ジークフリートの死か!...) という歌詞はその前に感情を込めてハーゲンがグンターに向かい「dir hilft nur Sigfred Tod!」(お前を救うのは、ただ、ジークフリートの死だ!)と言ったことへの返答であることからインパクトが小さくてそのまま聞き逃してしまいそうですが、この英雄・悪人・偽善者・・・などなど強烈キャラクターばかり登場する「ニーベルングの指輪」ではどちらかというと印象の薄いのですが、ギービヒ家の惣領にして領主でありながら臆病で、虚栄は張りたい内面の葛藤をよく表し、これから展開する終末を決定づける言葉ではないでしょうか? トマス・スチュアートがその揺れ動く心から、

『ニーベルングの指輪』完聴記(3)

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自分が年齢を重ねるとほんの10年前なら躊躇なく挑戦したことが今では必ずその前に立ち止まって失敗を 「 恐れて」 「やっぱりやめておこう」となることが多くなりました。 それはそれで経験値が上がっていることになるのでしょうが、後で「やっておけばよかった」と後悔することも多々あります。    この「ニーベルングの指輪」第2夜にあたる 楽劇「ジークフリート」 はヴォータンが中心となっていた神の世界が 「恐れを知らぬ者」 イケイケどんどんの若者ジークフリート(ヴォータンの孫にあたる)へと世代交代が軸となっていきます。 しかしこの楽劇、前半から中盤まで深い森が物語のほとんどを占め登場人物も少なく(中盤まで男声しか登場しない)物語も大きな起伏があるわけではないのできき続けるのがしんどくなってきます。さすらい人(ヴォータン)とミーメのクイズ場面(第1幕第2場)などは前2作までのストーリーのダイジェストのようになっていてまるでライトモチーフの復習ではないか?と思いながら「ラインの黄金」からきいてきているきき手にはしつこく感じる箇所ではないかな?とも考えます。 そしてそうした試練!?が延々と続き第2幕第3場でやっと大蛇(アルベリヒ)とミーメを倒したジークフリートが鳥の声が理解できるようになった瞬間に小鳥の女声エリカ・ケートが登場するとホッとすると同時に視界が開けたような解放感があります(ワーグナー自身は小鳥役にボーイ・ソプラノを指定しています) 私は戦争映画「Uボート」を思い浮かべてしまいました。 第2次世界大戦におけるドイツの潜水艦(Uボート)における乗組員が極限状態・不条理(戦争自体が不条理なものですが)に次々直面する内容ですが、主役は「Uボート」自身で艦長以下乗組員の面々も、そしてわずかしか登場しない女性。本当にストイックな映画でこの楽劇に通じるものがあります。 そしてこの楽劇で重要なことは作曲期間に大きな断絶があることです。 彼自身このニーベルングの物語に基づく4部作完結は半ば諦めてしまったと思われるように楽劇「トリスタンとイゾルデ」、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を完成させたのち再び作曲に取り掛かった第3幕、そういった詮索をしなくても雄弁壮大な前奏曲からはこの作品へかけた意気込みを自然とききとる事が出来ると思いま

『ニーベルングの指輪』完聴記(2)

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今週は「指輪」の第1夜 「ワルキューレ」 です。 このオペラは4部作中で最もよく知られている「ワルキューレの騎行」が含まれているので昔から単独で取り上げられる機会もあり第1幕だけの録音とかがあります。それだけ魅力溢れる作品であるともいえます。 確かに第1幕ではジークムントとジークリンデの恋愛を第2幕ではこのオペラの主人公と言って過言ではないブリュンヒルデの行動、そして第3幕ではブリュンヒルデとヴォータンの対話(対立)と永遠の別れ―それぞれにききどころと劇としての吸引力・緊迫感があります。 今回きいているベームのCDでもライヴならではの熱気が感じられてその緊迫した舞台の空気をきくことができます。 フンディングを歌っているゲルト・ニーンシュテットのドスの効いた声がいかにも山賊の親分といった知性はほどほど、腕力と存在感はあるという役柄にぴったりです。 そしてもちろん主人級のジークムント(ジェイムズ・キング)も立派で第1幕第3場、翌日のフンディングの対決を前にしながらも丸腰なのを嘆きながら武器を求め「ヴェルゼ!ヴェルゼ!」と歌う箇所の迫力! 第2幕では最初からヴォータンのテオ・アダムとブリュンヒルデのビルギット・ニコルソンの熱演に魅かれます。 そして、ここでもヴォータンは公私ともにイライラと怒りに悩まされます(きっと胃薬手放せない)そして妻から追い詰められ、娘に背かれてその存在感が希薄になっていく中で第3幕第3場の「ヴォータンの告別の場面」における歌唱は厳粛なものです。 オーケストラも当然すごいものです。第1幕前奏曲が嵐を表現する低弦部の動きがバイロイト祝祭劇場という環境も影響しているせいかもしれないのですがモゾモゾした響きが印象に残ります。きき所になる「ワルキューレの騎行」ではキラキラしたした響きを楽しむより端正な美しさがあります。 [配役]  ジークムント…ジェームズ・キング(T)  ジークリンデ…レオニー・リザネク(S)  フンディング…ゲルト・ニーンシュテット(B)  ブリュンヒルデ…ビルギット・ニルソン(S)  ヴォータン…テオ・アダム(Br)  フリッカ…アンネリース・ブルマイスター(M)  ゲルヒルデ…ダニカ・マステロヴィッツ(S)  オルトリンデ…ヘルガ・デルネシュ(S)  ヴァルトラウテ…ゲルトラウト・ホップ(A)