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ありがとう保田紀子オルガン・リサイタル

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1990年から松本のザ・ハーモニーホールの専属オルガニストを務められた 保田紀子 さんのオルガン・リサイタルに出かけました。 於:2014年4月12日(土曜日) 開演14:00    松本 ザ・ハーモニーホール  パンフレット・・・なんだか・・・いくら招待コンサートとはいえもっといいデザインなかったのかしらねえ 当日の演奏曲目 オルガン曲はほとんどきかない私ですが1曲めの ブルーンス の プレリューディウムト長調 ―初めてきく作曲家・作品でしたが感心しました。 ブルーンス(1651~1697)はブクステフーデの弟子だったらいのですが32歳の若さで亡くなってしまったそうです。細かいガラス片みたいなものが光を浴びてキラキラ天から降ってくるような高音の美しさ!フーガのめくるめく自由な飛翔!バッハの作品と似ていると思いました。そして大 バッハ の パッサカリアハ短調BWV582 。最初の足鍵盤で呈示させる印象的なテーマが次々と変容していく様子が見事です。 休憩後の ヴィドール の オルガン協奏曲第5番 からの 「トッカータ」 。オルガン曲の中では有名らしいですが私はただチャラチャラ鳴っているだけであまり好みの音楽ではありませんでした。その後の フランク の プレリュード、フーガと変奏曲ロ短調作品作品18 と リスト の バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」とロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲 はオルガンの性能を堪能させる曲で静かな部分では思考的な感じを与えられました。 保田さんの演奏は丁寧に音楽をききてに届けることに努めているようでした。改めて感じたのはオルガニストがピアニスト以上に体力仕事であることで、両手のみではなく左右の足を大きく開いたり、腕は右の鍵盤にあるのに足は左の鍵盤を押したりと・・・キツそうな態勢で演奏していました。 これからはオルガン曲もたくさんとはいかないですが機会があればききたいと思うようにしてくれた保田紀子さんに感謝です。ありがとうございました。 ただ当日の聴衆―これが無料演奏会(事前申し込みの抽選で選ばれた人)の客か・・・と思う人ばっかしで1曲めから居眠りしている人の多さ!(私の隣の人もそうだった)たぶん3分の1の人ははほとんど寝ていたのでは? 音楽会後に行きつけのデスク

今週の1曲(10)~ブラームス:大学祝典序曲

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新年度がスタートして新しい生活が始まるのにふさわしい(そうじゃない人ももちろん)音楽をご紹介したいと思います。 ブラームス 大学祝典序曲 作品80 ブラームスの作品をきくとほとんどがシブイ曲ばかりで生涯この人、笑ったことないんじゃないか?と思ってしまいますが、この作品は作曲者本人いわく「笑いの序曲」とのことで確かに彼には珍しく異常に喜びに満ち溢れている音楽です。 曲が書かれたのは1880年、前年の1879年にドイツ、ブレスラウ大学の名誉博士に選ばれたことへの返礼として作曲されました。しかし、その2年前の1877年にもイギリス、ケンブリッジ大学からも音楽博士にと申し出があったのですが授与式のために船旅をするのを嫌がってボツになっていたということでブラームスらしい面白いエピソードです。 曲の内容は4つのドイツの学生愛唱歌を基に自作のテーマを織りこまれた陽気でバンカラ(表現が古すぎ!)な学生たち―北杜 夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を連想し―目に浮かぶような音楽に思います。 開始はハ短調で―入学式で初めて門を入っていく様な不安な感じみたいなところから美しさを加えて、45小節から歓喜がやってくるという、それからの展開への期待を高めてくれます。また、この曲を初めてきく方でも157小節から^ファゴットで呈示される「新入生の歌」のメロディーはテレビとかラジオなどで使用されることもあるので(放送大学などのアカデミックな雰囲気を演出したい時のBGMに使用されます) 私はこの曲をきいているとマジメな人が羽目を外した時に変な面白さがあるのと同じ―ただし、周りの人間は反応に困りうつむいてしまう感じによく似ています。そんなことに我に返ったのかブラームス。同時期に双子のように「悲劇的序曲」作品81という曲を書いて、バランスをとっています。(ごまかして?)います。こちらは「大学祝典序曲」を「笑いの序曲」と呼んだのに対して「泣く序曲」と呼んだそうです。 《Disc》 演奏時間が10分程度なのでブラームスの交響曲のおまけのように入っていますが(演奏もそういったことが伝わってくるものがあります) 不思議なことに全交響曲をレパートリーにしていても「悲劇的序曲」は演奏するのに「大学祝典序曲」は取り上げない(ただ録音自体が残っていないという場合もあるかも知れませんが)指揮者

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

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シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

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地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

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先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。

モローとルオー展

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フランスの画家 ギュスターヴ・モロー (1826~1898)とその愛弟子 ジョルジュ・ルオー (1871~1958)の絵画展に出かけました(於:松本市美術館 企画展示室) 精緻な造りと色に引き込まれました。また、ひとつひとつの作品がそれぞれ個性的で明るい色調(青色)のものや黒や茶色を使った暗いものあったりと興味深く観ていきました。そして今回の企画展はモローと深い師弟関係にあったルオーの作品もうまく組み合わされ展示されていたので、題材・構図・色使いなどを見比べると、お互いがリスペクトし合い、師の意思を継いだ弟子が大きな戦争を2度経てどのように変わっていったかを知ることができました。 他にもモローの下絵といわれる油絵がとても抽象的で人物や雲、エンジェルが宙を舞っている・・・など観る人それぞれがいろいろ想像できる作品があってとても印象深かったです。 また、両者のイエス・キリストを題材にした作品やモローの「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」などものすごい吸引力にその場面に入り込みました。 帰りは美術館の近所にある行きつけのディスク・ショップに寄って以下のCDを買って帰りました。 ・マーラー:交響曲第10番(クック版)  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(録音:1992年 DENON) ・リスト:パガニーニ・エチュード(初版&改訂版 完全版)  ピアノ:大井 和郎(録音:1999年 徳間ジャパン) ・パガニーニ:24のカプリース  ヴァイオリン:マイケル・レビン(録音:1958年 EMI)      

インバル/東京都交響楽団 [新]マーラー・ツィクルスⅣから

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東京芸術劇場リニューアル記念 エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団  マーラー 交響曲第9番 ニ長調 於:2014年3月15日 東京芸術劇場 地方からわざわざ出掛けた価値のある演奏会でした。 私がきいたのは3階席でしたが冒頭、ホルン、チェロそしてハープで紡ぎだされる1音1音がこちらにもクッキリときこえてきました。そこへ第1主題が入ってくると湖上をボートに乗って漕ぎ出すみたいになめらかで清らかな響きでした(交響曲第7番の第1楽章序奏のテーマのインスピレーションを受けたのがこうゆうシチュエーションだったと作曲者本人が奥さんのアルマに伝えていますが、この交響曲も彼の生活環境を結びつけるものが感じられます) 曲が展開部に入ると会場に打ち鳴らされるシンバルや打楽器による音のパワーもきき手に恐れや怯えといったものを与えます。この部分から後半部にかけて頭に浮かんでくるのは船が沈没して海に投げ出された乗員・乗客が漂い、助けを求め手を上げもがきながら波に呑み込まれていっていってします姿です。 第2楽章はオーケストラの響きにキレがあり遅いところから速くなったり、強奏される時のレスポンスが良くて場面展開を見事に切替えていきます。第3楽章も同様で、対位法的な箇所ではマーラーの作曲技法の円熟をきき手にアピールし、442小節から頂点を迎える音楽は熟れた果実のように後は腐敗していくように―それをわかっていながら目を背け狂乱しおぞましい世界が繰り広げられます(昨日と同じ今日が来てくれることを当たり前としているかのように・・・)インバルの指揮は音楽に没入しすぎないで的確なコントロールをしているように感じました。それが「音楽に入っていかない」というわけではないのが彼のマーラーに特徴的な冷静さと熱気が融合しています。 第4楽章ではそういった持ち味を存分にきけました。 一回きりのナマ演奏なら情緒たっぷりに乗り切ってしまうことも可能な音楽をハイドンが種をまき、ベートーヴェンが地位を確定させ、続くロマン派のブラームスなどが力を注ぎブルックナー、マーラーにより「ソナタ形式」を金科玉条として特にドイツ、オーストリア音楽圏で恐竜のように進化した「シンフォニー」というジャンル。それがこの交響曲では「徹底的に」朽ちて滅びていく姿としても解釈できるような演奏と思いました。それが宗