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身辺雑記(番外編)~NHKドラマ「ロング・グットバイ」感想

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今日はクラッシク音楽ではなくてTVドラマを観ての感想です。 NHKドラマでアメリカの作家レイモンド・チャンドラーが書いたハードボイルド小説 「ロング・グットバイ(長いお別れ)」 をベースにその舞台を日本にしてアレンジを加えたドラマが始まりました(全5回シリーズ) 原作をハードボイルド小説にハマった20歳代に「マルタの鷹」(ダシール・ハメット著)と「深夜プラスワン」(ギャビン・ライアル著)と共に何度も読み返した作品なので興味深々に観ました(まだ時間の関係で第1回を観ての感想です) 1番感じたのはチャンドラーの気の利いた、またアイロニーに満ちたセリフや場面の演出に関心があったのですが、裏切られてしまいました。。。 ・フィリップ・マーロウが泥酔しているテリー・レノックスを「ダンサーズ」で目撃し自分の車に乗せる場面でその手伝いをしてくれた白服(ドアボーイ)が酔っ払いと関わるなんてもの好きな人間だと言われて 『そうやってこここまでのしあがったわけだ』 と言葉を返す所。                                     (村上春樹訳 ハードカバー版9ページ) ・マーロウとレノックスが親しくなり「ヴィクターズ」で飲み交わすようになってカクテルの「ギムレット」を飲んでいるときに 「本物のギムレット」 について語る場面  (同 28ページ) ・ 開店直後のBARの居心地の良さについて語るところ    (同 34ページ) (この意見は自分もそう思って仕事帰り開店直後のBARによってジン・アンド・イットやモルト・ウイスキー、もちろんギムレットも!飲んだことを思い出します) と、いったセリフ・場面が全て置き換えられていました―こういった場面に期待したのに(+_+)―このさき先にも名セリフや名シーンがたくさんあるのに心配です。。。 そして登場人物のキャラ設定もかなり変わっています。例えば原作では大手新聞社の代表でありながら写真も撮らせない、インタビューにも応えない―裏で社会を操る謎の人物「ハーラン・ポッター」を政界を目指す悪徳政治家風な感じにしていました。なんだか 「マーロウ対ポッター(政界・財界を象徴する人物としての」的 の NHK好みの 「社会派ドラマ」 にしてしまっているような雰囲気が残念です(第1回以降を観る意欲が無いのはそ

今週の1曲(13)~ドビュッシー:ピアノ三重奏曲

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今週ご紹介するのはフランスを代表する作曲家のひとり クロード=アシル・ドビュッシー (1862~1918)が最初期に完成させた ピアノ三重奏曲ト長調 です。 ドビュッシーが1879~80頃、ちょうど17、8歳の時にチャイコフスキーのパトロンとして有名なフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同行しました。その際に自身がピアノを弾き夫人の前で演奏するために書かれたものと思います。しかし、その後はどうも忘れ去られてしまったらしく、楽譜が散逸してしまい完全な形として出版されたのは1986年になってからのことだそうです。 彼が後年、新しい音の響きを生みだしていったのに対して、このピアノ・トリオからはそういった印象は受けなくてフランクやフォーレ、サン=サーンスの作品にも通じるものがあり、そこに青葉のような香りも感じます。 曲は4つの楽章から出来ています。 第1楽章 アンダンティーノ・コン・モルト・アレグロ 冒頭、ピアノ~ヴァイオリン~チェロへとメロディーが受け継がれていき発展していきますが、小さなつぼみが花を咲かせ満開になっていくみたいです。 第2楽章 スケルツォ―インテルメツォ・モデラート・アレグロ ピチカートで始められるリズムから民謡風で親しみやすいメロディーがきこえてきます。 第3楽章 アンダンテ・エスプレシーヴォ あまりにもムードたっぷりで初めてきいた時はのけ反りそうになりましたが、とてもロマンティックに弾かれる音楽には 耳が自然と吸い寄せられていきます。束の間の夢のように終わってしまう短い3分程の楽章です。 第4楽章 フィナーレ、アパッショナート 急速なリズムとテンポで駆け抜けていくところに若者の「ほてり」みないなものをヒリヒリと感じます。      《Disc》 海外盤のジャケット ピアノ:ジャック・ルヴィエ ヴァオイリン:ジャン=ジャック・カントロフ チェロ:フィリップ・ミュレ によるものが国内盤・海外盤共に廉価盤であります。 1987年に録音されているので恐らく出版後初の演奏だと思います。 音楽の持っているフワッとした感覚をうまく表現しているのではないでしょうか? 音の彩色もきれいで第1楽章などでは目の前に花畑が広がるような感じがして、曲の魅力をよく伝えてくれます。

ありがとう保田紀子オルガン・リサイタル

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1990年から松本のザ・ハーモニーホールの専属オルガニストを務められた 保田紀子 さんのオルガン・リサイタルに出かけました。 於:2014年4月12日(土曜日) 開演14:00    松本 ザ・ハーモニーホール  パンフレット・・・なんだか・・・いくら招待コンサートとはいえもっといいデザインなかったのかしらねえ 当日の演奏曲目 オルガン曲はほとんどきかない私ですが1曲めの ブルーンス の プレリューディウムト長調 ―初めてきく作曲家・作品でしたが感心しました。 ブルーンス(1651~1697)はブクステフーデの弟子だったらいのですが32歳の若さで亡くなってしまったそうです。細かいガラス片みたいなものが光を浴びてキラキラ天から降ってくるような高音の美しさ!フーガのめくるめく自由な飛翔!バッハの作品と似ていると思いました。そして大 バッハ の パッサカリアハ短調BWV582 。最初の足鍵盤で呈示させる印象的なテーマが次々と変容していく様子が見事です。 休憩後の ヴィドール の オルガン協奏曲第5番 からの 「トッカータ」 。オルガン曲の中では有名らしいですが私はただチャラチャラ鳴っているだけであまり好みの音楽ではありませんでした。その後の フランク の プレリュード、フーガと変奏曲ロ短調作品作品18 と リスト の バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」とロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲 はオルガンの性能を堪能させる曲で静かな部分では思考的な感じを与えられました。 保田さんの演奏は丁寧に音楽をききてに届けることに努めているようでした。改めて感じたのはオルガニストがピアニスト以上に体力仕事であることで、両手のみではなく左右の足を大きく開いたり、腕は右の鍵盤にあるのに足は左の鍵盤を押したりと・・・キツそうな態勢で演奏していました。 これからはオルガン曲もたくさんとはいかないですが機会があればききたいと思うようにしてくれた保田紀子さんに感謝です。ありがとうございました。 ただ当日の聴衆―これが無料演奏会(事前申し込みの抽選で選ばれた人)の客か・・・と思う人ばっかしで1曲めから居眠りしている人の多さ!(私の隣の人もそうだった)たぶん3分の1の人ははほとんど寝ていたのでは? 音楽会後に行きつけのデスク

今週の1曲(10)~ブラームス:大学祝典序曲

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新年度がスタートして新しい生活が始まるのにふさわしい(そうじゃない人ももちろん)音楽をご紹介したいと思います。 ブラームス 大学祝典序曲 作品80 ブラームスの作品をきくとほとんどがシブイ曲ばかりで生涯この人、笑ったことないんじゃないか?と思ってしまいますが、この作品は作曲者本人いわく「笑いの序曲」とのことで確かに彼には珍しく異常に喜びに満ち溢れている音楽です。 曲が書かれたのは1880年、前年の1879年にドイツ、ブレスラウ大学の名誉博士に選ばれたことへの返礼として作曲されました。しかし、その2年前の1877年にもイギリス、ケンブリッジ大学からも音楽博士にと申し出があったのですが授与式のために船旅をするのを嫌がってボツになっていたということでブラームスらしい面白いエピソードです。 曲の内容は4つのドイツの学生愛唱歌を基に自作のテーマを織りこまれた陽気でバンカラ(表現が古すぎ!)な学生たち―北杜 夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を連想し―目に浮かぶような音楽に思います。 開始はハ短調で―入学式で初めて門を入っていく様な不安な感じみたいなところから美しさを加えて、45小節から歓喜がやってくるという、それからの展開への期待を高めてくれます。また、この曲を初めてきく方でも157小節から^ファゴットで呈示される「新入生の歌」のメロディーはテレビとかラジオなどで使用されることもあるので(放送大学などのアカデミックな雰囲気を演出したい時のBGMに使用されます) 私はこの曲をきいているとマジメな人が羽目を外した時に変な面白さがあるのと同じ―ただし、周りの人間は反応に困りうつむいてしまう感じによく似ています。そんなことに我に返ったのかブラームス。同時期に双子のように「悲劇的序曲」作品81という曲を書いて、バランスをとっています。(ごまかして?)います。こちらは「大学祝典序曲」を「笑いの序曲」と呼んだのに対して「泣く序曲」と呼んだそうです。 《Disc》 演奏時間が10分程度なのでブラームスの交響曲のおまけのように入っていますが(演奏もそういったことが伝わってくるものがあります) 不思議なことに全交響曲をレパートリーにしていても「悲劇的序曲」は演奏するのに「大学祝典序曲」は取り上げない(ただ録音自体が残っていないという場合もあるかも知れませんが)指揮者

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

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シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

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地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

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先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。