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今週の1曲(22)~フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲

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今週の1曲は一般の知名度はこの曲のみで名前を知られているといってよい フランツ・シュミット FRANZ SCHMIDT  (1874~1939)の 歌劇「ノートル・ダム」間奏曲 です。 ちょうど今年で初演100年にあたり(1914年4月1日ウィーン)そしてこの1914年という年は第1次世界大戦の勃発という歴史上重要なとしでもあり、また音楽史上から見ても重要と考えられる年と考えられるため取り上げました。 *なぜ、1914年が音楽史上重要なのかと考えているか?またこのブログで述べたいと思いますが、この前年1913年にストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演に代表されるように新しい音楽の潮流が出て来た時代、第1次世界大戦の戦禍もあると思います。 シュミット(改めて言うまでもありませんが同姓のフローラン・シュミットという作曲家もいるのですがここで紹介しているのはシュミットはフランツです)は当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブラスチスラヴァ(現在のスロヴァキア首都)に生まれ、ウィーンの音楽院で学んだそうです。1910年代まではチェリストとしてウィーンの宮廷オペラのオーケストラにも在籍していたそうです。ちょうどその頃、このオーケストラの音楽監督はマーラーが務めていたのでその元で弾いていたことでしょう。 歌劇「ノートル・ダム」はヴィクトル・ユーゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ(ノートル・ダムのせむし男)」を原作にした2幕物の作品です。初演は成功して繰り返し上演があったそうですが、近年このオペラが劇場にかかったとか録音されたということは知りません。しかし、この間奏曲は有名で「オペラ前奏曲集」みたいなディスクの収録曲の定番でした―でもこういった類のCD自体の新録音が無い現在、耳にする方も減っているかも知れません。 でもとても興味深い曲です―冒頭、ブルックナーを思わせるような開始から中間部での重厚なオーケストレーションは後期ロマン派を感じさせる陶酔した世界を垣間見せ、終わり近くで曲が盛り上がってきたところでシンバルの一撃がブルックナーの交響曲第7番第2楽章の頂点で鳴らされる時に似た効果を挙げていています。 《Disc》 「オペラ前奏曲・間奏曲集」といった小品群を数多く残した カラヤン の耽美的な演奏がイチバンでしょう。この曲を彼は3回録音していて私

都響スペシャル エリアフ・インバル指揮 マーラー交響曲第10番(クック補完版)

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都響スペシャル エリアフ・インバル 指揮による マーラーの交響曲第10番嬰へ長調(クック版) の演奏会をきくため地方より上京してきました。 (於:2014年 7月20日(日曜日) 14:00~ サントリーホール) マーラーの交響曲第10番は一昔前までの「マーラー指揮者」といわれたバーンスタイン、テンシュテット、そしてアバド、マゼールといった人たちはマーラーの総譜が何とか完成している第1楽章のアダージョのみを演奏するのが一般的であったのに対して、現代の指揮者たちはイギリスの音楽研究家デリック・クック(1919~1976)が補筆完成させた、いわゆる「クック版」といわれる全5楽章のものを演奏するのがメジャーになりつつあるというか、きき手もキワモノをきくみたいな感覚を持つことなく接するようになりました。 それにはこのヴァージョンの普及に貢献したと思われるサイモン・ラトルを筆頭にリッカルド・シャイーそしてインバルなどによる演奏・ディスクの影響が大きいと思います(他にも違う版で演奏している指揮者まで含めるとこのシンフォニーをめぐる現況は百花繚乱といったところで、きき手が望めば色々な楽しみ方をできます) そのラトルやシャイーが一貫してクック版しか取り上げないのに対してインバルは当初1980年代の後半にフランクフルト放送交響楽団とマーラー交響曲全集を手掛けた時は第1楽章アダージョのみでしたが、クック版に価値を見出したそうで全集補完のようにして1992年にレコーディングをしました。 今回も基本的にそのヴァージョンで演奏しているようでした。しかし、「クック版」といってもこれまた一筋縄ではいかず、何回かクックが亡くなるまで手を入れていて、また彼の死後も周りの人たちも手を加えているのでクック版にも異稿があるのです。そして演奏する指揮者も自分オリジナルで修正したりしているので専門家でないと「どこがどう違う」ということまで判りません。 私のような素人でクック版を他人の手掛けた「マガイ物」という見方をしていて熱心にきいてこなかった人間には版がどうのこうのという力は持っていないので演奏会で鳴っていた音楽についてのみの感想です。 第1楽章、始めヴィオラのみで呈示される序奏テーマでの緊張感ある音、これにより一気に曲への集中力が高まります。続くヴァイオリンの第1主題

新・専属オルガニスト 原田靖子 ホールデビューコンサート(ザ・ハーモニーホール)

松本音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の第4代めの専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビューコンサートをききに出掛けました(2014.7.13 Sunday 14:00~) 1曲めは純然たるソロ・オルガン曲 デュリュフレ 「前奏曲、アダージョと”来たれ、創造主たる精霊”にもとづくコラール変奏曲 彼の作品はレクイエムがなかなかいい曲だったので期待していたのですが肥大したロマン主義の延長線上でビヨーンとした音楽でなんだか抽象的なイメージでした。延々20分近く強弱が連続する音をきかされ、堂々巡りみたいになって耳と体の感覚がマヒしてきました。ただ、途中で出てくるコラール旋律の美しさとメロディーラインの流れがいいところがあったので曲としての評価は星★★☆☆☆といったところでしょうか!?やっぱりパイプオルガンの曲はバッハに限ると改めて実感しました。 休憩後のプログラム後半は オルガンとダンスとうたによる音楽物語「字のない手紙」 というオリジナルの劇のようなものでした。 その分野について意見を言えるようなほどの経験はありませんが―共演の 中ムラサトコ さんの透きとおった歌声が会場に響くと異空間になったような感覚を受けます。(他にも様々な演技や楽器演奏それに効果音までを担当するスゴ技!)に始まりダンスの 新井英夫 さんの動と静のメリハリが見事な演技に感心しました。そして60分近くに渡りパイプオルガンを弾き通しの原田さん―3人の息の合った舞台だったのではないでしょうか。そしてステージのみならず、会場全体、高い位置にあるオルガン席も活用した舞台演出も興味深く思いました。そして見ている人間のイマジネーションを刺激する舞台―でも少しここでも抽象的なパフォーマンスがあったりして―今回のテーマは「抽象」?と考えてしまいました。また、騒がしい場面のところは少々辟易しましたが。。。 原田靖子さんには早くこのホールでパイプオルガン独奏コンサートを開催していただきたいと思います(曲目はスウェーリンクとかフレスコバルディあたりでお願いします) *そして前回のブログの コンサート予告で書いた 方法を実践してみました―でもやっぱりどことなくバランスの悪い音で低音不足、ガツンとくる音がきこえず、音も薄くてホール全体が包み込まれるような空間にならないので残

原田靖子ホールデビューコンサート 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)

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松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビュー・コンサートが開催されます。 2014年7月13日(日曜日)14:00~ 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) 【プログラム】 ・デュリュフレ 前奏曲、アダージョと「来たれ、創り主たる聖霊」によるコラール変奏曲 Op.4 ・オルガンとダンスと歌による音楽物語「字のない手紙」 共演 ダンス:新井英夫     うたとおはなし:中ムラサトコ ちょっと子供向けのプログラムではありますが多くの人に原田靖子さんのオルガンに親しむ良い機会になるのでは? 入場整理券が当選しているので息子と行って来る予定です。 息子と行くコンサート初体験ーどんな事を感じるのか楽しみです。 私としては以前にこのブログで前任の専属オルガニスト保田紀子さんの演奏会で感じたここのオルガンの低音部不足解消案ー出来る限り前方席に座り低音カット、高音を頭上から浴びるようにきくという方法を試してみたいです。

今週の1曲(20)~R.シュトラウス:四つの最後の歌

R.シュトラウスをここ連続して取り上げてきてまだまだご紹介したい作品はありますが、今週でひと区切りします。 当初は楽劇「ばらの騎士」にと考えてきき直そうとしましたが、たいそう長い曲でかさばり、時間くい虫でもあるということと、私がこの作品をみなさんへご紹介するほどの力不足と考え見送りました―でも彼の作品中のみならずオペラの最高傑作でもあるので、いつか機会をつくりたいと思います。 そして今回選んだのは ソプラノ独唱とオーケストラによる  四つの最後の歌  です。 この作品はR.シュトラウスの亡くなる1年前、1948年に書かれました。彼は1864年に生まれて1949年に亡くなっていますので、とても長命でその創作期間も同様に長かったのですが、生涯を通じてソプラノの高い声を愛していたそうで、オペラやリートでもその見せ場があり、その魅惑的な歌声にきき惚れます。 第2次世界大戦後スイスで隠居生活というか、戦犯容疑もあったので隠遁するように暮らしていた彼が、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1786~1857 ドイツ・ロマン派の詩人でヴォルフなども付曲しています)の詩に接して晩年の心境と重なり、インスピレーションを受け書かれたのが「夕映えに」です(1948年4月作曲) その後、ファンから贈られたヘルマン・ヘッセ詩集からも共感を覚え「春」を7月に「眠りにつくとき」を8月に翌月には「9月」の3曲を書き上げました。 演奏されるのは出版の曲順に従い「春」―「9月」―「眠りにつくとき」―「夕映えに」というものが一般的です。 第1曲「春」   「ほの暗く長い冬からまばゆいほどの春が訪れた―」 というような内容の春を讃える歌です。 冒頭ではまだ寒い冬から春の目覚めを印象付けて、しだいに鳥の声や樹の葉のそよぐ音が春の到来を描き「春」=「恋人」をイメージできるような、老人とは思えないみずみずしい音楽です。 第2曲「9月」   「夏が終わって庭は悲しみ、冷たい雨が降っている。次々と沈んでいく夏の庭の中で驚き、疲れて、物憂げな微笑みを浮かべる。ばらの花のもとにとどまって、やがて大きな疲れた目を閉じる」 という大意です。夏から秋への季節の移り変わりを人生の終焉に例えて、黄昏に近づいていることをワーグナー風のオーケストラの細かい動きで描きます。曲の最後できこえてくるホルンの音が、

今週の1曲(19)~R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

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ここ連続して R.シュトラウス の作品をご紹介していますが、彼の作品の代名詞でもある交響詩を1曲も紹介しないのは申し訳ないのでここで登場していただきます。 交響詩「ドン・ファン」 作品20 別に「英雄の生涯」でも「ツァラトゥストラはこう語った」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ドン・キホーテ」などでもいいのですが中でも一番きいたことのある回数を考えるとたぶんこの曲が多いと思うので取り上げました。 しかし、彼の交響詩はストーリーがあまりにも通俗すぎ、オーケストラの響きに頼りきっている感があって以前は「凄いなぁ~!」「カッコいいなぁ~!」といってきいてきましたが―作曲者自身の自己顕示欲のようなものを感じる時があってウザくなる事があります―この曲でも女性を表すとされるメロディーが次々と出てくるのですが、それに陶酔すると同時に「どんなもんだい、こんなにも書けるんだぞ!」と自慢されているようにもきこえます。 R.シュトラウスは「マクベス」作品23を先に先に書いていましたが、1888年に発表、翌年に初演された交響詩が「ドン・ファン」で、出版が前者よりも先になったのでこの曲が彼が書いた初の交響詩として聴衆の前に現れました。 「ドン・ファン」とは中世スペインの伝説の人物。イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―モーツァルトのオペラをはじめとして様々な音楽家が作品化しています。R.シュトラウスはそれをニコラウス・レーナウ(ハンガリー出身でオーストリアで活動した詩人。1802~1850)の詩に基づいて書かれたのがこの交響詩です。 冒頭の爆発するようなメロディーからドン・ファンを表すテーマが理想の女性像を求めるように次々とメロディーが登場してきます。そのふたつの旋律との絡み合いからクライマックス―これは酒色にふけって自堕落な生活をしているドン・ジョヴァンニ表現していると思われます―それに飽き失望し熱が冷め、自滅していく・・・他の彼の作品でも何度も使われる手法ですが、盛大にオーケストラを鳴らした後に消入るように静かに曲を閉ます。 *この曲を静かに終わらせて「死」や「消滅」を意味するような方法が R=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」(初演1888年)や、 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(2曲と

今週の1曲(18)~R.シュトラウス:管楽器のための交響曲「楽しい仕事場」

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今週も生誕150年の リヒャルト・シュトラウス の作品から 管楽器のための交響曲第2番 変ホ長調 「楽しい仕事場」 副題のような理想的な所があったらどんなにかいいかと思ってしまうのは横に置いておいて(^_^.) この作品は彼の晩年、そして第2次世界大戦中の1945年に書かれました。ちなみに第1番も当然あってこちらには「傷病兵の仕事場から」という標題がつけられています。 4つの楽章から出来ていて先週の小二重協奏曲と同様に大音量のオーケストラできき手を圧倒するといった作品ではなく、小編成(12本の木管楽器とホルン4本)のアンサンブルのための曲でモーツァルト時代のセレナーデとかディヴェルティメントのような雰囲気をもっています。 第1楽章のアレグロ・コンブリオでは別の作品のテーマにする予定だったといわれる素材が織り込まれていたり、どっかできいたようなメロディー(例えば「英雄の生涯」など)がきこえてきて滅法楽しめる楽章です。 第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエットとここではまさにR.シュトラウスが敬愛するモーツァルトへのオマージュを捧げているのだろうなぁ~と感じる優美な音楽です。 終楽章はアンダンテの導入からアレグロの主要部からなる演奏時間約40分のうち3分の1位を占めます(この楽章のみ最初第1楽章として構想され1943年作曲されたといわれています)暗い導入部は思わせぶりでその後には生き生きとした動きのある音楽がきこえてきます。 心身疲労や敗戦濃厚な空気により創作意欲が衰えつつあった時期の作品といわれていますが―といってもこの頃80歳を超えていたということを考えれば当然といえば当然ともいえますが―しかしこの作品をきいていると作曲・演奏する楽しみや喜びを決して無くしたわけではないと感じます。老人のような干からびた(失礼)音楽ではなくてツヤっぽさもあって、まだR.シュトラウスここにあり!と示しているようにも感じられます。 《Disc》 オーボエの名手、現在では指揮者・作曲家としても活動している ハインツ・ホリガー が ヨーロッパ室内管弦楽団の管楽メンバー と1993年に録音したものがとてもイイです。 当時若手奏者により結成されたオーケストラの仲間たちがまさに「楽しい仕事場」で音楽を奏でているゴキゲンな感じが伝わってきます。 ホリガーは指揮