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モーツァルト:交響曲全集完聴記(その5)

前回に引き続き真偽不明のシンフォニー集をきいていきたいと思います。 CD18 ・レオポルド・モーツァルト:シンフォニア ト長調 「新ランバッハ」 これが前回、完聴記(その5)で「旧ランバッハ」シンフォニーの項目に登場した、現在では父レオポルドが作曲されたとされている作品です。 第1楽章アレグロなんかをきけばこれがヴォルフガングの作品ですと言われれば納得しそうなメロディーラインを持っています。 その後の楽章も常識的な書き方というか自分の耳には「これだ!」という所のない、しかし悪い所もない作品。 ★ ・第7番 ニ長調 K.45 1768年の1月、ウィーンで書かれたとされています。オーケストラの編成は弦楽器にオーボエ、ホルンの他にトランペットとティンパニも加えた大きめなものになっていて、メヌエットを第3楽章に含む4楽章のシンフォニーで、モーツァルトがだんだんとウィーン風の手法を身に着けていったことが表れてきています。また、第3楽章を省き楽器編成も変更されて、この年に作曲されたオペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」の序曲に転用されました。 第1楽章からまさにオペラの開幕を予感させるドラマティックで堂々とした楽想です。第2楽章は小休止みたいにして短く、弦のみによりゆらりゆらりと舟に乗ったみたいに横に揺れるようなメロディー。メヌエットでは他の楽章に比べて少し長くて重々しいリズムが厳しい感じです。終楽章は不器用なリズムを持った音楽がユーモラスで、ホルンがローローと吹かれます。 ★★★ ・変ロ長調 K.45b(Anh.214) 自筆譜が現在まで発見されていない為に、作曲年代、真偽が明らかでない作品です。 第1楽章はスタイリッシュに躍動して楽しいです。第2楽章は室内楽風の静かな響きが古風な印象を受けますが、逆に新鮮にきこえます。第3楽章メヌエット&トリオは田舎の農民の踊りみたいなのどかな風景を思い浮かべます。第4楽章は第1楽章に使用されていても違和感がないもので、その疾走する音楽はモーツァルトらしさがあります。 ★★★ ・ニ長調 K.51 (K.46b) 「ラ・フィンタ・センプリーチェ」序曲 こちらがオペラの序曲に転用されたヴァージョン。 第7番からメヌエットを省き、フルートとファゴット各2本が加わった代わりに、トランペットと

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その4)

今週もガンバって、モーツァルトのシンフォニー。その第4回。 先週でほぼ初期のシンフォニーをきき終わる目安がついたので、今回と次回で残ったシンフォニーと真偽不明な曲をきいていきたいと思います。 CD17  (このホグウッドの全集の17枚めと18枚めには真偽不明の作品が収められています) ・交響曲 イ短調 K.16a /K.Anh.220  「オーデンセ」 1982年にオーデンセ(アンデルセンの生地で有名)で写譜が新発見され、1765年にロンドン、もしくは1766年~1769年頃、ザルツブルクかウィーンで作曲された初期の交響曲と研究家たちは推論しました。しかし、研究が進み偽作説が強まり、その後はほとんど録音・演奏される事の無くなったので、いまではこのディスクでしかきけない作品かも知れません。 モーツァルトとしては珍しいイ短調の交響曲で、当時流行していたシュトゥルム・ウント・ドラングの作風で書いたと言われれば聞こえはいいかもしれませんが、いざきいてみると―恐らく偽作―久しぶりにききましたがやっぱりそう感じました。第1楽章のメロディーの動きや終始部なんかも単純すぎます。ただ第2楽章の弦と管が語り合うようなところは唯一この曲で耳をひきます。終楽章も多弁になりすぎ、技が鼻にツイてもう少しスマートになって欲しく感じ、また、ホルンがいななくのもいただけないです。 ★ ・交響曲 ト長調 K.45a /Anh.221 「旧ランバッハ」 この曲も真偽が一転二転した曰くありの交響曲です。 1923年にザルツブルク近くのランバッハという街の修道院からふたつのパート譜の写譜が発見されました。片方にはヴォルフガング・モーツァルト作、もう片方にはレオポルド・モーツァルト作となっていて、このシンフォニーにはケッヘル45aという番号を与えられました。しかし、ドイツの音楽学者アンナ・アーベルトが実はこの曲はレオポルドの作で、もうひとつの方がヴォルフガング作であると発表しました。そこで、その交響曲を「新・ランバッハ・シンフォニー」として名付けられました。 話がゴチャゴチャしてきましたが、要はアーベルトという女性学者は「旧ランバッハ」がレオポルド作で「新ランバッハ」がヴォルフガング作であるという説を出しました。 しかし、ここで状況は一変しました。1980年代に「旧ランバッ

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その3)

今週はモーツァルトの交響曲全曲の完聴記―演奏ホグウッド&アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによる―その3回目です。 CD3 ・交響曲 ハ長調 K.35 「第一戒律の責務」序曲(シンフォニア) モーツァルト11歳の時に書かれた宗教的ジングシュピール(ドイツ語による宗教劇)の序曲をシンフォニーとして数えて演奏しています。 強弱の対比が繰り返されます。弦のユニゾンではドラマティックな表現をきかせるのが興味深いです。なお、この劇本編は3部に分かれていて第1部がモーツァルト、第2部がヨーゼフ・ハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドン、第3部がザルツブルク大聖堂のオルガニストで作曲家のアントン・カエタン・アドルガッサーによる共作になっているそうですが、私はまだその全曲をきいた事がありません。 ★★★ ・交響曲 ニ長調 K.38   オペラ「アポロとヒアキントゥス」序曲(シンフォニア) 1767年に作曲されてその年の5月に初演されたモーツァルト最初のオペラ。その導入曲をここでもシンフォニーとして演奏しています。 3分弱のあっという間でありますが、強弱の入れ替わり、喜ばしい表現などに初期のモーツァルトのエッセンスが凝縮された音楽といえます。 ★★★ ・交響曲 ニ長調 K.100(K.62a)  (セレナード第1番 ニ長調 K.100~第2、6~9楽章) この作品もホグウッド流の解釈によりセレナード(モーツァルト自身はこの曲を「カッサシオン」とよんでいます)楽章を抜き出して交響曲としています。 力強い第1楽章、弦の細かい動きに躍動感があります。第3楽章のピチカートにのせて2本のフルートが吹く美しいメロディーはヴェールをまとった美女ふたりが優雅に踊っているような劇用の曲のようです。後にパリ旅行の時に書かれたバレエ音楽「レ・プティ・リアン」が連想されました。 メヌエットが第2・4楽章にあり、いかにもセレナードから編曲した多楽章になっています。 終楽章はトランペットがけたたましく鳴って祝典的な雰囲気を盛り上げます。 ★★★ ・交響曲 第9番 ハ長調 K.73 作曲年が研究者によってまちまちな作品。自筆譜にはレオポルド・モーツァルトの筆跡と思われる「1769年」という数字が書き込まれているそうですが、有名なモーツァルト研究家た

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その2)

先日の クリストファー・ホグウッド さん追悼から始めた モーツァルトの交響曲全集完聴記 の 第2回 です。 CD2 をきいていきたいと思います。 ・交響曲 ニ長調 K.95(73n)  1770年頃、ローマで作曲されたものですが、自筆譜が残されていないので疑作説があります。  オペラの序曲を思わせるトランペット、ティンパニを編成に含む祝典的な音楽です。第2楽章アンダンテではここでしか登場しないフルートがグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」で一番有名な「精霊の踊り」を思わせる楽想で印象的な場面をつくっています。 メヌエットを第3楽章に含み、全4楽章のそれなりの充実感はあります(このメヌエットは後になって書き加えられたといわれています) ★★ ・交響曲 第11番 ニ長調 K.84(73q)   この曲も1770年にボローニャおよびミラノで書かれたとされていますが真作か疑いがある作品です。  第1楽章の滑らかなメロディーや問いと答えのように強弱が対比します。第2楽章のアンダンテではピチカートを使用しているところがユニークで、歌心溢れるメロディーが特徴です。 全3楽章を通じてイタリア・オペラからの影響と思われるものが多いです。終楽章のコーダは第33番の交響曲に似ているように思いました。 ★★★ ・交響曲 第10番 ト長調 K.74    1770年ミラノで書かれたとされ、自筆譜が残っているので真作とされますが、モーツァルトの初期交響曲をめぐる状況は現在でも混沌としているらしいので、学者先生の研究成果だけでなくて自分の耳を信じてきくしかないと思います。また、どれが「モーツァルトカナ?」と考えながらきく楽しみもあります。 第1楽章の弦楽器と管楽器がズレて奏される所はモーツァルト流のジョーク?を思わせ、そして続いて演奏される第2楽章アンダンテは牧歌的になります。終楽章ロンド(アレグロ)冒頭の弱音からフォルテへの加速は後期の作品にもきかれる手法が、中間部で弦をかき鳴らすように弾かれる箇所(トルコ風!?)は面白いです。所々に仕掛けられたワナがモーツァルトらしい「ユーモア・シンフォニー」―思わぬ拾いものです。 ★★★★ ・交響曲 ニ長調K.87(74a)     オペラ「ポントの王ミトリダーテ」序曲  ホグウッド版の拡

松本交響楽団 第72回定期演奏会

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松本交響楽団 第72回定期演奏会をききに行きました。 プログラム ・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 ザ・ハーモニーホール 開演14:00~ いきなり 交響曲第6番 からのプログラム―アマチュア・オーケストラにはかなり負担が大きいのでは?と思った通り、第1楽章「田舎についた時の愉快な感情のめざめ」というサブタイトルよりも馬車から降りるときから水たまりに気を付けて神経質に歩いていているような―でもうっかり馬糞を踏んでしまい「アッ!」と声をあげたみたいに音を外す管楽器群・・・といった感情になりました。以下の楽章も同じような感じです。第2楽章も「小川のほとりの風景」というよりは清掃されていない側溝といった停滞感に恨めしさを感じつつききました。しかし、第129小節からのフルート(ナイチンゲール)―オーボエ(うずら)―クラリネット(かっこう)と模倣するよく知られた場所では緊張しききても当然期待する中で健闘していました。特に全曲を通じてフルート奏者の方は良かったです。 休憩を挟んで ウェーバーの「オベロン」序曲 。個人的には「魔弾の射手」序曲よりも好きな曲で、冒頭のホルンの響きからメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」などに通じるドイツの深い森、そこに居そうな妖精が舞っているような幻想的でロマンティックな音楽がイイのですがホルンは安定した響きが不足していました(松本交響楽団のホルンはもうちょっとレベル向上を求めます・・・)でも後半にかけての追い込みはなかなかです。後のワーグナーがウェーバーの作品から影響を受けたことを意識させてくれて「リエンチ」や「さまよえるオランダ人」の序曲を思い浮かべました。 そして今回の演奏会のメインディッシュともいえる、ソリストに天満敦子さんを迎えた ヴァイオリン・コンチェルト です。 冒頭のティンパニの4分音符の4音もきっちりキマッテいい滑り出しでした(ティンパニ奏者の方は 前回の定期公演でも思いましたがとてもうまくて響きにもキレがあるのでその音が会場に響くとオーケストラに喝を入れているようにきこえます) 天満さんは女性に失礼ですが、細かいことには気にしない豪快ともいえ

チケット購入 松本交響楽団 第72回定期演奏会

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本日、松本交響楽団 第72回定期演奏会のチケットを購入してきました。   【プログラム】 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61 ・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 開演:14:00 ザ・ハーモニーホール(松本音楽文化ホール) *今回の演奏会は天満さんをソリストに迎えてのべートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが注目されるプログラムです。

クリストファー・ホグウッドさん追悼~モーツァルト:交響曲全集完聴記(その1)

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去る9月24日に クリストファー・ホグウッド さんが亡くなりました。 70年代~080年代を中心にオワゾールというレーベルに数多くの録音を残して古楽器演奏というジャンルを学者の研究対象から一般の音楽ファンの鑑賞対象にしたことに大きな貢献があり「オリジナル楽器界のカラヤン」といったような比喩をきいたような気がしますが、まさにその通りだと思います。 ちょうど先日よりホグウッドと自身が組織したアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)と78年から86年にかけて録音したモーツァルトの交響曲全集を少しずつきき始めてきいたところでした。 モーツァルトの交響曲は全41曲という常識を覆した彼らの代表的なディスクといえるもので、その収録曲数は全71曲!CDも19枚にも及びます。まだ音楽業界も体力があった時代だから実現できたもので、それから30年が経過してもこの企画を演奏の質はおいておいても、量的には現在も凌駕されていないのではないでしょうか? 今回、彼の死を機にモーツァルトの交響曲全集をきいていき、その試聴記録として投稿していきたいと思います。しかし、ディスクを次々にきいていく習慣がないので全曲をきき終わるのにいつまでかかるか見込みはありませんがよろしくお願いします。 このディスクは番号付きの作品だけでなく、オペラの序曲から断片、果ては出所のアヤシイ偽作(疑作)説のある曲までも網羅し、偏執的なくらいで、多少上げ底気味な感はありますが全部で71曲になっています。 CDは番号順(作曲年代順)に収録されていないため―今回、廉価盤のセットとしてきいている19枚は当初発売された時はそれなりに考えられていた組み合わせであったのに対して、収録時間重視でかなりバラバラな順番になってしまっています・・・(完聴記ではCDの収録順にきいていく予定です) なおかつ、収録年データや曲名も簡略化されていてジャケットもそっけないものになっているのが残念です。。。廉価盤だからといわれればそれまでですが・・・。 また、この演奏はクリストファー・ホグウッドはコンティヌオ(通奏低音)としてチェンバロを担当してコンサート・マスターのヤープ・シュレーダーがリーダーを務めている。つまり音楽解釈は前者、演奏現場の監督は後者というような手法で録音したそうなのですが、イマ