投稿

今週の1曲(26)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番

今週は モーツァルト の室内楽の傑作のひとつ 弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515 です。 彼は弦楽五重奏曲を6曲―しかし、そのうち1曲は「ナハト・ムジーク」と呼ばれるK.388(384a)の管楽器のセレナードを編曲したものなのでオリジナルの弦楽五重奏曲と言えるのは5曲となるのですが、そのうちこの第3番から最後の第6番までの4曲はどれも傑作ぞろいです。 弦楽五重奏曲というのは通常、ヴァイオリンがふたつ、ヴィオラとチェロがそれぞれひとつという編成にヴィオラをもうひとり加えます。モーツァルトはヴァイオリンも弾きましたが、親しい仲間たちと室内楽を演奏するときはヴィオラを担当したと記録されているので、この作品を演奏するときもおそらくヴィオラを弾いたと思います。そのためか中声部であるヴィオラが充実していることもあり、活躍する場面を書いています。 モーツァルトが記録していた作品目録によると1787年4月19日に完成されたとされる第3番は規模・構成からみてもモーツァルトのこの分野における到達点の極みといわれます。 同時期の第4番ト短調K.516が第40番のシンフォニーに例えらるように、この第3番ハ長調K.515は「ジュピター・シンフォニー」と並び称されます。まあ、おききになればそれは誇張ではないことが分かると思います。そして、珍しいことに溢れ出る楽想を流れるように楽譜に書きつけたと思われている天才モーツァルトが何度も書き直しをしていることが自筆譜に確認されるそうです。それから、不思議なことに当時は曲を書いて出版することが生活の糧であったにも関わらず、1789年まで自ら出版をしなかったそうです。 アレグロ―アンダンテ―メヌエット―アレグロという一般的な4つの楽章からなっていて第1楽章のヴァイオリンの上昇していくメロディーはハイドンの「ひばり」のニックネームをもつカルテットの第1楽章にも通じる典雅なものです。それが古風なものでなく、口笛を吹いてスキップをしているモーツァルトがいるみたいですた。また、全曲を通じて音楽は堂々とした風格とオーラがあります。第3楽章はそのメロディー進行と強弱のリズムが「ジュピター・シンフォニー」にとても似ているように思います。 《Disc》 こういった構成がしっかりしている作品はアメリカの ジュリアード・カルテット に ジョン・グラハム

フランス・ブリュッヘンさん追悼

イメージ
8月13日、オランダの指揮者 フランス・ブリュッヘン さんが亡くなりました。 そこで今週のこのブログは彼を偲ぶ回にしたいと思います。 1934年生まれなので79年の生涯だったことになります。指揮者は80歳を超えて現役という方がいるのでもう少し生きてほしかったです。。。 彼はリコーダー奏者としてデビューしてちょっとチャチに見られがちなこの楽器の地位向上に大きく貢献したそうです。私は彼が指揮者に転向してからしか知らないので、現役時代、ニコラウス・アーノンクールやグスタフ・レオンハルトといった古楽演奏家の第一世代の人たちと残した様々な録音できいたのみですが。 1981年にはオリジナル楽器による「18世紀オーケストラ」を創設しました。 この団体は1年間に2,3回、本拠地アムステルダムに各地から固定メンバーが集結。リハーサルをして世界演奏旅行に出発し、帰国後のコンサートをライヴ収録したものを活動記録のようにしてディスク化して発表をしていました。 その演奏旅行で毎日繰り返し演奏しても飽きない『傑作のみ』をとりあげるとブリュッヘン自身が述べていて、名前のとおりバッハ~ハイドン~モーツァルト~初期・中期のベートーヴェンあたりが創設時の中心レパートリーでした。 他の同業者(ホグウッド、ガーディナー、ノリントン、アーノンクールetc)がベートーヴェン、ベルリオーズ、ブラームス果てはワーグナーやブルックナーあたりまでレパートリーを急速に拡大している状況に背を向けるように、限られたレパートリー繰り返し取り組む姿がストイックで 「音楽の求道者」 みたいで「カッコイイ」と思いました。全盛期の90年代にきいた演奏はどれも手垢のついたスコアをきれいさっぱり洗濯をしたようにきこえたので、今世紀に入ってからのやや守りにはいったような演奏をきいた時は、想い出の女性に久し振りに再会したら容姿がすごく変化していた―みたいな寂しい思いをしましたが― 彼の生演奏には3回接することができましたが、当時まだ音楽を詳しくきき取る耳を持っていないにもかかわらず、その体験は強く残っています。 *初めてきいた時のベートーヴェンの序曲「コリオラン」の切り裂くような冒頭和音。同じ日のアンコール、モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲のムクムク沸き立って躍動的に動きまわる音。  1回めの時

今週の1曲(22)~フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲

イメージ
今週の1曲は一般の知名度はこの曲のみで名前を知られているといってよい フランツ・シュミット FRANZ SCHMIDT  (1874~1939)の 歌劇「ノートル・ダム」間奏曲 です。 ちょうど今年で初演100年にあたり(1914年4月1日ウィーン)そしてこの1914年という年は第1次世界大戦の勃発という歴史上重要なとしでもあり、また音楽史上から見ても重要と考えられる年と考えられるため取り上げました。 *なぜ、1914年が音楽史上重要なのかと考えているか?またこのブログで述べたいと思いますが、この前年1913年にストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演に代表されるように新しい音楽の潮流が出て来た時代、第1次世界大戦の戦禍もあると思います。 シュミット(改めて言うまでもありませんが同姓のフローラン・シュミットという作曲家もいるのですがここで紹介しているのはシュミットはフランツです)は当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブラスチスラヴァ(現在のスロヴァキア首都)に生まれ、ウィーンの音楽院で学んだそうです。1910年代まではチェリストとしてウィーンの宮廷オペラのオーケストラにも在籍していたそうです。ちょうどその頃、このオーケストラの音楽監督はマーラーが務めていたのでその元で弾いていたことでしょう。 歌劇「ノートル・ダム」はヴィクトル・ユーゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ(ノートル・ダムのせむし男)」を原作にした2幕物の作品です。初演は成功して繰り返し上演があったそうですが、近年このオペラが劇場にかかったとか録音されたということは知りません。しかし、この間奏曲は有名で「オペラ前奏曲集」みたいなディスクの収録曲の定番でした―でもこういった類のCD自体の新録音が無い現在、耳にする方も減っているかも知れません。 でもとても興味深い曲です―冒頭、ブルックナーを思わせるような開始から中間部での重厚なオーケストレーションは後期ロマン派を感じさせる陶酔した世界を垣間見せ、終わり近くで曲が盛り上がってきたところでシンバルの一撃がブルックナーの交響曲第7番第2楽章の頂点で鳴らされる時に似た効果を挙げていています。 《Disc》 「オペラ前奏曲・間奏曲集」といった小品群を数多く残した カラヤン の耽美的な演奏がイチバンでしょう。この曲を彼は3回録音していて私

都響スペシャル エリアフ・インバル指揮 マーラー交響曲第10番(クック補完版)

イメージ
都響スペシャル エリアフ・インバル 指揮による マーラーの交響曲第10番嬰へ長調(クック版) の演奏会をきくため地方より上京してきました。 (於:2014年 7月20日(日曜日) 14:00~ サントリーホール) マーラーの交響曲第10番は一昔前までの「マーラー指揮者」といわれたバーンスタイン、テンシュテット、そしてアバド、マゼールといった人たちはマーラーの総譜が何とか完成している第1楽章のアダージョのみを演奏するのが一般的であったのに対して、現代の指揮者たちはイギリスの音楽研究家デリック・クック(1919~1976)が補筆完成させた、いわゆる「クック版」といわれる全5楽章のものを演奏するのがメジャーになりつつあるというか、きき手もキワモノをきくみたいな感覚を持つことなく接するようになりました。 それにはこのヴァージョンの普及に貢献したと思われるサイモン・ラトルを筆頭にリッカルド・シャイーそしてインバルなどによる演奏・ディスクの影響が大きいと思います(他にも違う版で演奏している指揮者まで含めるとこのシンフォニーをめぐる現況は百花繚乱といったところで、きき手が望めば色々な楽しみ方をできます) そのラトルやシャイーが一貫してクック版しか取り上げないのに対してインバルは当初1980年代の後半にフランクフルト放送交響楽団とマーラー交響曲全集を手掛けた時は第1楽章アダージョのみでしたが、クック版に価値を見出したそうで全集補完のようにして1992年にレコーディングをしました。 今回も基本的にそのヴァージョンで演奏しているようでした。しかし、「クック版」といってもこれまた一筋縄ではいかず、何回かクックが亡くなるまで手を入れていて、また彼の死後も周りの人たちも手を加えているのでクック版にも異稿があるのです。そして演奏する指揮者も自分オリジナルで修正したりしているので専門家でないと「どこがどう違う」ということまで判りません。 私のような素人でクック版を他人の手掛けた「マガイ物」という見方をしていて熱心にきいてこなかった人間には版がどうのこうのという力は持っていないので演奏会で鳴っていた音楽についてのみの感想です。 第1楽章、始めヴィオラのみで呈示される序奏テーマでの緊張感ある音、これにより一気に曲への集中力が高まります。続くヴァイオリンの第1主題

新・専属オルガニスト 原田靖子 ホールデビューコンサート(ザ・ハーモニーホール)

松本音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の第4代めの専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビューコンサートをききに出掛けました(2014.7.13 Sunday 14:00~) 1曲めは純然たるソロ・オルガン曲 デュリュフレ 「前奏曲、アダージョと”来たれ、創造主たる精霊”にもとづくコラール変奏曲 彼の作品はレクイエムがなかなかいい曲だったので期待していたのですが肥大したロマン主義の延長線上でビヨーンとした音楽でなんだか抽象的なイメージでした。延々20分近く強弱が連続する音をきかされ、堂々巡りみたいになって耳と体の感覚がマヒしてきました。ただ、途中で出てくるコラール旋律の美しさとメロディーラインの流れがいいところがあったので曲としての評価は星★★☆☆☆といったところでしょうか!?やっぱりパイプオルガンの曲はバッハに限ると改めて実感しました。 休憩後のプログラム後半は オルガンとダンスとうたによる音楽物語「字のない手紙」 というオリジナルの劇のようなものでした。 その分野について意見を言えるようなほどの経験はありませんが―共演の 中ムラサトコ さんの透きとおった歌声が会場に響くと異空間になったような感覚を受けます。(他にも様々な演技や楽器演奏それに効果音までを担当するスゴ技!)に始まりダンスの 新井英夫 さんの動と静のメリハリが見事な演技に感心しました。そして60分近くに渡りパイプオルガンを弾き通しの原田さん―3人の息の合った舞台だったのではないでしょうか。そしてステージのみならず、会場全体、高い位置にあるオルガン席も活用した舞台演出も興味深く思いました。そして見ている人間のイマジネーションを刺激する舞台―でも少しここでも抽象的なパフォーマンスがあったりして―今回のテーマは「抽象」?と考えてしまいました。また、騒がしい場面のところは少々辟易しましたが。。。 原田靖子さんには早くこのホールでパイプオルガン独奏コンサートを開催していただきたいと思います(曲目はスウェーリンクとかフレスコバルディあたりでお願いします) *そして前回のブログの コンサート予告で書いた 方法を実践してみました―でもやっぱりどことなくバランスの悪い音で低音不足、ガツンとくる音がきこえず、音も薄くてホール全体が包み込まれるような空間にならないので残

原田靖子ホールデビューコンサート 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)

イメージ
松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビュー・コンサートが開催されます。 2014年7月13日(日曜日)14:00~ 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) 【プログラム】 ・デュリュフレ 前奏曲、アダージョと「来たれ、創り主たる聖霊」によるコラール変奏曲 Op.4 ・オルガンとダンスと歌による音楽物語「字のない手紙」 共演 ダンス:新井英夫     うたとおはなし:中ムラサトコ ちょっと子供向けのプログラムではありますが多くの人に原田靖子さんのオルガンに親しむ良い機会になるのでは? 入場整理券が当選しているので息子と行って来る予定です。 息子と行くコンサート初体験ーどんな事を感じるのか楽しみです。 私としては以前にこのブログで前任の専属オルガニスト保田紀子さんの演奏会で感じたここのオルガンの低音部不足解消案ー出来る限り前方席に座り低音カット、高音を頭上から浴びるようにきくという方法を試してみたいです。

今週の1曲(20)~R.シュトラウス:四つの最後の歌

R.シュトラウスをここ連続して取り上げてきてまだまだご紹介したい作品はありますが、今週でひと区切りします。 当初は楽劇「ばらの騎士」にと考えてきき直そうとしましたが、たいそう長い曲でかさばり、時間くい虫でもあるということと、私がこの作品をみなさんへご紹介するほどの力不足と考え見送りました―でも彼の作品中のみならずオペラの最高傑作でもあるので、いつか機会をつくりたいと思います。 そして今回選んだのは ソプラノ独唱とオーケストラによる  四つの最後の歌  です。 この作品はR.シュトラウスの亡くなる1年前、1948年に書かれました。彼は1864年に生まれて1949年に亡くなっていますので、とても長命でその創作期間も同様に長かったのですが、生涯を通じてソプラノの高い声を愛していたそうで、オペラやリートでもその見せ場があり、その魅惑的な歌声にきき惚れます。 第2次世界大戦後スイスで隠居生活というか、戦犯容疑もあったので隠遁するように暮らしていた彼が、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1786~1857 ドイツ・ロマン派の詩人でヴォルフなども付曲しています)の詩に接して晩年の心境と重なり、インスピレーションを受け書かれたのが「夕映えに」です(1948年4月作曲) その後、ファンから贈られたヘルマン・ヘッセ詩集からも共感を覚え「春」を7月に「眠りにつくとき」を8月に翌月には「9月」の3曲を書き上げました。 演奏されるのは出版の曲順に従い「春」―「9月」―「眠りにつくとき」―「夕映えに」というものが一般的です。 第1曲「春」   「ほの暗く長い冬からまばゆいほどの春が訪れた―」 というような内容の春を讃える歌です。 冒頭ではまだ寒い冬から春の目覚めを印象付けて、しだいに鳥の声や樹の葉のそよぐ音が春の到来を描き「春」=「恋人」をイメージできるような、老人とは思えないみずみずしい音楽です。 第2曲「9月」   「夏が終わって庭は悲しみ、冷たい雨が降っている。次々と沈んでいく夏の庭の中で驚き、疲れて、物憂げな微笑みを浮かべる。ばらの花のもとにとどまって、やがて大きな疲れた目を閉じる」 という大意です。夏から秋への季節の移り変わりを人生の終焉に例えて、黄昏に近づいていることをワーグナー風のオーケストラの細かい動きで描きます。曲の最後できこえてくるホルンの音が、