投稿

2014の投稿を表示しています

年末棚ざらえ~2014年にきいたディスクから

イメージ
今週は12月最終週ですので2014年にきいたディスクからこのブログで紹介しきれなかったものを取り上げつつ今年を振り返りたいと思います。 ⊡J.S.バッハ:フーガの技法    ピアノ:アンジェラ・ヒューイット バッハの最高傑作のひとつといわれながらも曲順・構成、作曲年代、果ては演奏する楽器指定もない謎々だらけで、この作品を手掛けるのは演奏家にとってもかなり手強く、またやりがいのある仕事であることは間違いないと思いますが、バッハの鍵盤楽器による作品をたくさん弾いてきたカナダ出身のピアニスト、ヒューイットがいよいよこの曲を録音しました。   さすがに今までバッハの作品を弾いてきただけあって、ポリフォニックな旋律の動きに精緻な表現と、作品に必要なものを全て兼ね備えた演奏です。しかも、近年流行の学究的な方向へ傾斜せずに知性的で品位、そして数々の舞台に立ってきた経験値が結合して「ヒューイットのバッハ」として作品をきかせてくれます。 そう思いながらきいていると、確かにその通りと納得して感心したり、ムム??そうなるの?と疑問に思ったり、あまりにもロマンティックすぎやしないかしら?と戸惑ったり、後半にかけて―ヒューイットはBWV番号順にコンプラプクントゥス1~13、4曲のカノン、コンプラプクントゥス14という順に、ただしBWV.18「2台のクラヴィーアのためのカノン」は除き弾いています―曲が難しくなっていっても「この曲はこんなに難解ですよ!」という演奏者の叫び?悲痛?がきこえてくるわけではなく、淡々と曲が進んでいきます。そういった解釈によりかえって邪魔にならずに、このとても長くて超難解な作品をきき通すのに役立っていると思います。 ⊡ ハイドン:弦楽四重奏曲集    「太陽四重奏曲 」 Op.20(全曲)    「ロシア四重奏曲」 Op.33(全曲)    「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」 Op.51    「第2トスト四重奏曲」 Op.64(全曲)    「エルデーディ四重奏曲 」 Op.76(全曲)    「ロプコヴィツ四重奏曲」 Op.77(全曲)    演奏:モザイク弦楽四重奏団 新しい録音ではありませんが、1985年にウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーにより結成されたモザイク弦楽四重奏団、...

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その8)

ホグウッド/シュレーダー&アカデミー・オブ・エンシェントミュージックのモーツァルトの交響曲全集の完聴シリーズの第8回めです。 CD6 交響曲 第20番 ニ長調 K.133 第1楽章から颯爽として表現豊かな音楽です。朝の目覚めの清々しさ―「いっちょ今日もやってやるぞ!」という気分にさせてくれて、生命力・自身がわいてきます。 第2楽章、弦楽器にフルートのオブリガートという特徴的なもので、とても印象的な柔らかな肌触りの音楽になっています。 第3楽章は定石通りのメヌエットになっているのですが、きき所はトリオのひなびた音楽で、田舎の楽師たちが村の一隅で演奏しているようなユーモア感が伝わってきます。手回しオルガン=ハーディ・ガーディを模したようなメロディーもきこえてきます。 終楽章はしっかりと書き込まれ堂々とした存在感があります。初期のシンフォニーをきいていた時として感じた「やっとここまで書き上げた」という仕事としての音楽ではなくて、心から湧き出て来たように感じられる楽想が心地よいです。 弦楽器の陰で様々なフレーズを管楽器に与えているところは後のシンフォニーを思わせます。 ★★★★ 交響曲 第21番 イ長調 K.134 楽器編成がオーボエでなく、フルートが入っているせいか柔らかな耳触りで膨らんでいく様な感じでとてもポエジーな音楽です。第2楽章はアンダンテでありながら弦楽器が細かく躍動的な動きをきかせる低~中声部に対して、オペラティックなメロディーを奏するヴァイオリンとフルートという対象が面白いです―短いですが展開部もドラマティックです。 明朗なメヌエット、ただしここでもきき所はトリオの部分で、ききての耳を引き付ける仕掛けを行ってくれます。 終楽章は推進力があり、ユーモラスで喜びに溢れて、また劇的な所も持っている多様さがある音楽です。 ★★★☆ シンフォニア ニ長調 「ルチオ・シルラ」K.135 序曲 ここでも1772年12月、ミラノで初演されたオペラの序曲をシンフォニーとして演奏しています。 急―緩―急の典型的な当時のイタリア序曲のスタイルで、堂々とした第1楽章、穏やかな第2楽章、燃え上がる炎のような終楽章といった構成で劇への期待感を膨らませるものです。 ★★☆ シンフォニア ニ長調 K.161/K.163/K.141a...

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その7)

今週もホグウッドのモーツァルト交響曲完聴シリーズの7回めです。 CD5 交響曲第18番 ヘ長調 K.130 前にきいた第16番と第17番の交響曲と同様に1772年5月に作曲されたといわれています。3楽章形式だった前2曲に対してメヌエット&トリオを加えた4楽章からなり、楽器編成もオーボエからフルート2本にかわり、ホルンも4本に増えています。 編成の拡大に伴い音楽の構造も深化しています。それはちょうどこの年に4月にザルツブルクの大司教にコロレド―モーツァルトの伝記では必ずと言ってほど悪人として描かれている人物ですが―が就任していて、モーツァルトとしては新大司教に自身の才能を見せたいという意図が感じられてくるようなシンフォニーです。 大人しいイメージの第2楽章アンダンテ・グラツィオーソでは2本のフルートと4本のホルンで響くので優美さとたくましさが同居したような音楽になっています。 メヌエットも短いながらもブルックナーを思わせるリズムが印象的な所です。 終楽章は弦楽器と管楽器が見事な対比をきかせてくれます。どことなく音楽の運び方が、クリスティアン・バッハやマンハイム楽派と呼ばれるシュターミッツなどの影響が復活しているみたいです。でも、決して後退ではなくて音楽が素晴らしいものになっています。 ★★★★ 交響曲第19番 変ホ長調 K.132 この曲もフルートがオーボエに変わっただけで4本のホルンが含まれるのが特徴のシンフォニーです。まず驚くのは13年後に書かれる同じ調性の第22番K.482のピアノ・コンチェルトに似た第1楽章のテーマの登場です。 第2楽章はこれまでのシンフォニーに比べ格段に長大な緩徐楽章で、半音階的な動きでかなりロマンティックなもので、ここでは同じ変ホ長調の第39番のシンフォニーにつながっていく種がまかれているように思われ、モーツァルトの魅力が味わえます。 メヌエットでは4本のホルンが効果的に使われて充実した響きがきけます。トリオが宗教的な厳かな雰囲気を持っています。 終楽章は古風なバロック時代の舞曲を思わせる音楽に意表をつかれます。 ここで追加として本来このシンフォニーの第2楽章だったアンダンテ・グラツィオーソが収録されています。全体とのバランスを考えてかシンプルなものです。 ★★★☆ 交響曲 ニ長調 K.185...

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その6)

クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによるモーツァルトの交響曲全集完聴記。今週はその第6回めです。 CD4 交響曲 第14番 イ長調 K.114 第2回めのイタリア旅行から帰った1771年の12月に書かれたといわれています。 楽器編成がオーボエに替りフルートが使われているため色彩的な響きがします。第1楽章ののびやかな旋律がオーストリアの田園風景が広がる感じです。 ここではコンティヌオ(チェンバロ)がかなりきこえてきます。 第2楽章アンダンテではフルートから持ち替えられたオーボエと弦楽器が牧歌のようなメロディーをきかせてくれます。この柔らかな音楽はモーツァルトの進化を示すものと思います。 第3楽章はすこし攻撃的なメヌエット。長・短調の交代が面白く、トリオでは哀愁を漂わせます。 終楽章モルト・アレグロは鋭い信号音みたいな和音から始まってスピード感に溢れていて喜びの爆発みたいです。 全曲を通じて管楽器に多少独立性が出てきたり、書式がきっちりしてくるなどの個性が感じられる初期シンフォニーの中では注目するべき作品であると思いました。 ★★★★ 追加のように以前はこのシンフォニーのために書かれたといわれていた1分ほどの短い K.61gⅠのメヌエット が演奏されています。ただし、現在ではこの作品は信憑性が疑われています。。。 交響曲 第15番 ト長調 K.124 ザルツブルクで1772年2月に作曲されたといわれ、この年に何曲も書かれたシンフォニーの1曲めにあたります。 今までの作品にあったイタリアの太陽を浴びた明るさだけでなくてオーボエやホルンに弦という基本的な編成を使いながらも重厚さというのか陰影がついてきています。第3楽章のメヌエットのつくりはセレナードやディヴェルティメントに含まれているような軽いもの。もっともこの当時シンフォニーやそういった娯楽音楽との明確な区別はなかったのですが・・・。 終楽章は第14番のシンフォニーみたいな和音を合図にスタートしますが、それに比べるとこちらは少しせっかちでまるで急いで書き上げたような印象を受けます。 ★★☆ 交響曲 第16番 ハ長調 K.128 1772年5月に続く第17番、第18番の3曲はザルツブルクで新しく司教に就任したコロレド伯に自分の才...

モーツァルト:交響曲全集完聴記(その5)

前回に引き続き真偽不明のシンフォニー集をきいていきたいと思います。 CD18 ・レオポルド・モーツァルト:シンフォニア ト長調 「新ランバッハ」 これが前回、完聴記(その5)で「旧ランバッハ」シンフォニーの項目に登場した、現在では父レオポルドが作曲されたとされている作品です。 第1楽章アレグロなんかをきけばこれがヴォルフガングの作品ですと言われれば納得しそうなメロディーラインを持っています。 その後の楽章も常識的な書き方というか自分の耳には「これだ!」という所のない、しかし悪い所もない作品。 ★ ・第7番 ニ長調 K.45 1768年の1月、ウィーンで書かれたとされています。オーケストラの編成は弦楽器にオーボエ、ホルンの他にトランペットとティンパニも加えた大きめなものになっていて、メヌエットを第3楽章に含む4楽章のシンフォニーで、モーツァルトがだんだんとウィーン風の手法を身に着けていったことが表れてきています。また、第3楽章を省き楽器編成も変更されて、この年に作曲されたオペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」の序曲に転用されました。 第1楽章からまさにオペラの開幕を予感させるドラマティックで堂々とした楽想です。第2楽章は小休止みたいにして短く、弦のみによりゆらりゆらりと舟に乗ったみたいに横に揺れるようなメロディー。メヌエットでは他の楽章に比べて少し長くて重々しいリズムが厳しい感じです。終楽章は不器用なリズムを持った音楽がユーモラスで、ホルンがローローと吹かれます。 ★★★ ・変ロ長調 K.45b(Anh.214) 自筆譜が現在まで発見されていない為に、作曲年代、真偽が明らかでない作品です。 第1楽章はスタイリッシュに躍動して楽しいです。第2楽章は室内楽風の静かな響きが古風な印象を受けますが、逆に新鮮にきこえます。第3楽章メヌエット&トリオは田舎の農民の踊りみたいなのどかな風景を思い浮かべます。第4楽章は第1楽章に使用されていても違和感がないもので、その疾走する音楽はモーツァルトらしさがあります。 ★★★ ・ニ長調 K.51 (K.46b) 「ラ・フィンタ・センプリーチェ」序曲 こちらがオペラの序曲に転用されたヴァージョン。 第7番からメヌエットを省き、フルートとファゴット各2本が加わった代わりに、トランペットと...

松本交響楽団 第72回定期演奏会

イメージ
松本交響楽団 第72回定期演奏会をききに行きました。 プログラム ・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 ザ・ハーモニーホール 開演14:00~ いきなり 交響曲第6番 からのプログラム―アマチュア・オーケストラにはかなり負担が大きいのでは?と思った通り、第1楽章「田舎についた時の愉快な感情のめざめ」というサブタイトルよりも馬車から降りるときから水たまりに気を付けて神経質に歩いていているような―でもうっかり馬糞を踏んでしまい「アッ!」と声をあげたみたいに音を外す管楽器群・・・といった感情になりました。以下の楽章も同じような感じです。第2楽章も「小川のほとりの風景」というよりは清掃されていない側溝といった停滞感に恨めしさを感じつつききました。しかし、第129小節からのフルート(ナイチンゲール)―オーボエ(うずら)―クラリネット(かっこう)と模倣するよく知られた場所では緊張しききても当然期待する中で健闘していました。特に全曲を通じてフルート奏者の方は良かったです。 休憩を挟んで ウェーバーの「オベロン」序曲 。個人的には「魔弾の射手」序曲よりも好きな曲で、冒頭のホルンの響きからメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」などに通じるドイツの深い森、そこに居そうな妖精が舞っているような幻想的でロマンティックな音楽がイイのですがホルンは安定した響きが不足していました(松本交響楽団のホルンはもうちょっとレベル向上を求めます・・・)でも後半にかけての追い込みはなかなかです。後のワーグナーがウェーバーの作品から影響を受けたことを意識させてくれて「リエンチ」や「さまよえるオランダ人」の序曲を思い浮かべました。 そして今回の演奏会のメインディッシュともいえる、ソリストに天満敦子さんを迎えた ヴァイオリン・コンチェルト です。 冒頭のティンパニの4分音符の4音もきっちりキマッテいい滑り出しでした(ティンパニ奏者の方は 前回の定期公演でも思いましたがとてもうまくて響きにもキレがあるのでその音が会場に響くとオーケストラに喝を入れているようにきこえます) 天満さんは女性に失礼ですが、細かいことには気にしない豪快ともいえ...

チケット購入 松本交響楽団 第72回定期演奏会

イメージ
本日、松本交響楽団 第72回定期演奏会のチケットを購入してきました。   【プログラム】 ・ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲 ・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61 ・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」 ヴァイオリン:天満 敦子 指揮:丸山 嘉夫 2014年10月12日 日曜日 開演:14:00 ザ・ハーモニーホール(松本音楽文化ホール) *今回の演奏会は天満さんをソリストに迎えてのべートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが注目されるプログラムです。

今週の1曲(27)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番

先日、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番K.515をご紹介した際に、この分野における「ジュピター・シンフォニー」のような作品で、第40番ト短調シンフォニーに比べられるのが第4番ト短調K.516であると申し上げました。なので第3番をご紹介しておいてこちらも傑作である第4番をご紹介しないのはもったいないので今週は モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516 です。 彼の記録していた作品目録によると、第3番完成後の約1か月後、1787年5月16日に完成したと記されているそうです。 第3番が堂々たる構成力で外に放射する力に満ち溢れている音楽に対して、この曲はとってもで内向的でジックリ向かい合いたい曲です。 第1楽章アレグロは焦りを煽るようなリズムと痛切な哀しみを伴うメロディーでインパクトがあり、激しさ、厳しさが伝わってきます。 第2楽章はうつろな感じのメヌエットで、そこには舞曲から連想する愉しみはありません。トリオでは一瞬、天使が舞ふ牧歌的な風景が見えますが、それを断ち切るようにメヌエットが戻ってきます。 第3楽章、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。ここでやっと安らぎをもたらす宗教音楽のような浄化された音楽がきかれます。モーツァルトの書いた緩徐楽章でも最高クラスに入るでしょう。 終楽章は絶望してヨタヨタ歩く人間を想像するアダージョの序奏から開始されます。そこから主要部のアレグロへと続いていきます。明るいロンドなのですが、心ここにあらず、というか目に涙を溜めながら「泣き踊り」をしているみたいで、第3番にあった充実感・高揚感は存在せず、虚無感が漂っています。 モーツァルトの音楽は明るく、楽しく、美しい―もっといえばクラシック音楽は心を清らかにして癒すものとして気楽にきくものと思い込んでいる人にきいて欲しい。 クラシック音楽はそんなものではないと感じるはハズ。 ききてはクラシック音楽から発見や関心、驚き、恐怖=デモーニッシュなもの、時には怒りや反感を受容できなければならないと思います。またそういった音楽でなければ面白くもないし、それを理解できていない演奏家もまっぴらごめんです。 既に「絶滅危惧種」「死に体」ともいえるクラシック音楽と付き合っている奇特な人種なのですから ―それくらいの心がけできくべきだと思いま す。 《Disc》 これも...

今週の1曲(26)~モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番

今週は モーツァルト の室内楽の傑作のひとつ 弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515 です。 彼は弦楽五重奏曲を6曲―しかし、そのうち1曲は「ナハト・ムジーク」と呼ばれるK.388(384a)の管楽器のセレナードを編曲したものなのでオリジナルの弦楽五重奏曲と言えるのは5曲となるのですが、そのうちこの第3番から最後の第6番までの4曲はどれも傑作ぞろいです。 弦楽五重奏曲というのは通常、ヴァイオリンがふたつ、ヴィオラとチェロがそれぞれひとつという編成にヴィオラをもうひとり加えます。モーツァルトはヴァイオリンも弾きましたが、親しい仲間たちと室内楽を演奏するときはヴィオラを担当したと記録されているので、この作品を演奏するときもおそらくヴィオラを弾いたと思います。そのためか中声部であるヴィオラが充実していることもあり、活躍する場面を書いています。 モーツァルトが記録していた作品目録によると1787年4月19日に完成されたとされる第3番は規模・構成からみてもモーツァルトのこの分野における到達点の極みといわれます。 同時期の第4番ト短調K.516が第40番のシンフォニーに例えらるように、この第3番ハ長調K.515は「ジュピター・シンフォニー」と並び称されます。まあ、おききになればそれは誇張ではないことが分かると思います。そして、珍しいことに溢れ出る楽想を流れるように楽譜に書きつけたと思われている天才モーツァルトが何度も書き直しをしていることが自筆譜に確認されるそうです。それから、不思議なことに当時は曲を書いて出版することが生活の糧であったにも関わらず、1789年まで自ら出版をしなかったそうです。 アレグロ―アンダンテ―メヌエット―アレグロという一般的な4つの楽章からなっていて第1楽章のヴァイオリンの上昇していくメロディーはハイドンの「ひばり」のニックネームをもつカルテットの第1楽章にも通じる典雅なものです。それが古風なものでなく、口笛を吹いてスキップをしているモーツァルトがいるみたいですた。また、全曲を通じて音楽は堂々とした風格とオーラがあります。第3楽章はそのメロディー進行と強弱のリズムが「ジュピター・シンフォニー」にとても似ているように思います。 《Disc》 こういった構成がしっかりしている作品はアメリカの ジュリアード・カルテット に ジョン・グラハム...

今週の1曲(22)~フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲

イメージ
今週の1曲は一般の知名度はこの曲のみで名前を知られているといってよい フランツ・シュミット FRANZ SCHMIDT  (1874~1939)の 歌劇「ノートル・ダム」間奏曲 です。 ちょうど今年で初演100年にあたり(1914年4月1日ウィーン)そしてこの1914年という年は第1次世界大戦の勃発という歴史上重要なとしでもあり、また音楽史上から見ても重要と考えられる年と考えられるため取り上げました。 *なぜ、1914年が音楽史上重要なのかと考えているか?またこのブログで述べたいと思いますが、この前年1913年にストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演に代表されるように新しい音楽の潮流が出て来た時代、第1次世界大戦の戦禍もあると思います。 シュミット(改めて言うまでもありませんが同姓のフローラン・シュミットという作曲家もいるのですがここで紹介しているのはシュミットはフランツです)は当時のオーストリア=ハンガリー帝国のブラスチスラヴァ(現在のスロヴァキア首都)に生まれ、ウィーンの音楽院で学んだそうです。1910年代まではチェリストとしてウィーンの宮廷オペラのオーケストラにも在籍していたそうです。ちょうどその頃、このオーケストラの音楽監督はマーラーが務めていたのでその元で弾いていたことでしょう。 歌劇「ノートル・ダム」はヴィクトル・ユーゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ(ノートル・ダムのせむし男)」を原作にした2幕物の作品です。初演は成功して繰り返し上演があったそうですが、近年このオペラが劇場にかかったとか録音されたということは知りません。しかし、この間奏曲は有名で「オペラ前奏曲集」みたいなディスクの収録曲の定番でした―でもこういった類のCD自体の新録音が無い現在、耳にする方も減っているかも知れません。 でもとても興味深い曲です―冒頭、ブルックナーを思わせるような開始から中間部での重厚なオーケストレーションは後期ロマン派を感じさせる陶酔した世界を垣間見せ、終わり近くで曲が盛り上がってきたところでシンバルの一撃がブルックナーの交響曲第7番第2楽章の頂点で鳴らされる時に似た効果を挙げていています。 《Disc》 「オペラ前奏曲・間奏曲集」といった小品群を数多く残した カラヤン の耽美的な演奏がイチバンでしょう。この曲を彼は3回録音していて私...

都響スペシャル エリアフ・インバル指揮 マーラー交響曲第10番(クック補完版)

イメージ
都響スペシャル エリアフ・インバル 指揮による マーラーの交響曲第10番嬰へ長調(クック版) の演奏会をきくため地方より上京してきました。 (於:2014年 7月20日(日曜日) 14:00~ サントリーホール) マーラーの交響曲第10番は一昔前までの「マーラー指揮者」といわれたバーンスタイン、テンシュテット、そしてアバド、マゼールといった人たちはマーラーの総譜が何とか完成している第1楽章のアダージョのみを演奏するのが一般的であったのに対して、現代の指揮者たちはイギリスの音楽研究家デリック・クック(1919~1976)が補筆完成させた、いわゆる「クック版」といわれる全5楽章のものを演奏するのがメジャーになりつつあるというか、きき手もキワモノをきくみたいな感覚を持つことなく接するようになりました。 それにはこのヴァージョンの普及に貢献したと思われるサイモン・ラトルを筆頭にリッカルド・シャイーそしてインバルなどによる演奏・ディスクの影響が大きいと思います(他にも違う版で演奏している指揮者まで含めるとこのシンフォニーをめぐる現況は百花繚乱といったところで、きき手が望めば色々な楽しみ方をできます) そのラトルやシャイーが一貫してクック版しか取り上げないのに対してインバルは当初1980年代の後半にフランクフルト放送交響楽団とマーラー交響曲全集を手掛けた時は第1楽章アダージョのみでしたが、クック版に価値を見出したそうで全集補完のようにして1992年にレコーディングをしました。 今回も基本的にそのヴァージョンで演奏しているようでした。しかし、「クック版」といってもこれまた一筋縄ではいかず、何回かクックが亡くなるまで手を入れていて、また彼の死後も周りの人たちも手を加えているのでクック版にも異稿があるのです。そして演奏する指揮者も自分オリジナルで修正したりしているので専門家でないと「どこがどう違う」ということまで判りません。 私のような素人でクック版を他人の手掛けた「マガイ物」という見方をしていて熱心にきいてこなかった人間には版がどうのこうのという力は持っていないので演奏会で鳴っていた音楽についてのみの感想です。 第1楽章、始めヴィオラのみで呈示される序奏テーマでの緊張感ある音、これにより一気に曲への集中力が高まります。続くヴァイオリンの第1主題...

新・専属オルガニスト 原田靖子 ホールデビューコンサート(ザ・ハーモニーホール)

松本音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の第4代めの専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビューコンサートをききに出掛けました(2014.7.13 Sunday 14:00~) 1曲めは純然たるソロ・オルガン曲 デュリュフレ 「前奏曲、アダージョと”来たれ、創造主たる精霊”にもとづくコラール変奏曲 彼の作品はレクイエムがなかなかいい曲だったので期待していたのですが肥大したロマン主義の延長線上でビヨーンとした音楽でなんだか抽象的なイメージでした。延々20分近く強弱が連続する音をきかされ、堂々巡りみたいになって耳と体の感覚がマヒしてきました。ただ、途中で出てくるコラール旋律の美しさとメロディーラインの流れがいいところがあったので曲としての評価は星★★☆☆☆といったところでしょうか!?やっぱりパイプオルガンの曲はバッハに限ると改めて実感しました。 休憩後のプログラム後半は オルガンとダンスとうたによる音楽物語「字のない手紙」 というオリジナルの劇のようなものでした。 その分野について意見を言えるようなほどの経験はありませんが―共演の 中ムラサトコ さんの透きとおった歌声が会場に響くと異空間になったような感覚を受けます。(他にも様々な演技や楽器演奏それに効果音までを担当するスゴ技!)に始まりダンスの 新井英夫 さんの動と静のメリハリが見事な演技に感心しました。そして60分近くに渡りパイプオルガンを弾き通しの原田さん―3人の息の合った舞台だったのではないでしょうか。そしてステージのみならず、会場全体、高い位置にあるオルガン席も活用した舞台演出も興味深く思いました。そして見ている人間のイマジネーションを刺激する舞台―でも少しここでも抽象的なパフォーマンスがあったりして―今回のテーマは「抽象」?と考えてしまいました。また、騒がしい場面のところは少々辟易しましたが。。。 原田靖子さんには早くこのホールでパイプオルガン独奏コンサートを開催していただきたいと思います(曲目はスウェーリンクとかフレスコバルディあたりでお願いします) *そして前回のブログの コンサート予告で書いた 方法を実践してみました―でもやっぱりどことなくバランスの悪い音で低音不足、ガツンとくる音がきこえず、音も薄くてホール全体が包み込まれるような空間にならないので残...

原田靖子ホールデビューコンサート 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)

イメージ
松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)の専属オルガニストに就任された 原田靖子 さんのホールデビュー・コンサートが開催されます。 2014年7月13日(日曜日)14:00~ 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) 【プログラム】 ・デュリュフレ 前奏曲、アダージョと「来たれ、創り主たる聖霊」によるコラール変奏曲 Op.4 ・オルガンとダンスと歌による音楽物語「字のない手紙」 共演 ダンス:新井英夫     うたとおはなし:中ムラサトコ ちょっと子供向けのプログラムではありますが多くの人に原田靖子さんのオルガンに親しむ良い機会になるのでは? 入場整理券が当選しているので息子と行って来る予定です。 息子と行くコンサート初体験ーどんな事を感じるのか楽しみです。 私としては以前にこのブログで前任の専属オルガニスト保田紀子さんの演奏会で感じたここのオルガンの低音部不足解消案ー出来る限り前方席に座り低音カット、高音を頭上から浴びるようにきくという方法を試してみたいです。

今週の1曲(19)~R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

イメージ
ここ連続して R.シュトラウス の作品をご紹介していますが、彼の作品の代名詞でもある交響詩を1曲も紹介しないのは申し訳ないのでここで登場していただきます。 交響詩「ドン・ファン」 作品20 別に「英雄の生涯」でも「ツァラトゥストラはこう語った」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ドン・キホーテ」などでもいいのですが中でも一番きいたことのある回数を考えるとたぶんこの曲が多いと思うので取り上げました。 しかし、彼の交響詩はストーリーがあまりにも通俗すぎ、オーケストラの響きに頼りきっている感があって以前は「凄いなぁ~!」「カッコいいなぁ~!」といってきいてきましたが―作曲者自身の自己顕示欲のようなものを感じる時があってウザくなる事があります―この曲でも女性を表すとされるメロディーが次々と出てくるのですが、それに陶酔すると同時に「どんなもんだい、こんなにも書けるんだぞ!」と自慢されているようにもきこえます。 R.シュトラウスは「マクベス」作品23を先に先に書いていましたが、1888年に発表、翌年に初演された交響詩が「ドン・ファン」で、出版が前者よりも先になったのでこの曲が彼が書いた初の交響詩として聴衆の前に現れました。 「ドン・ファン」とは中世スペインの伝説の人物。イタリア語では「ドン・ジョヴァンニ」―モーツァルトのオペラをはじめとして様々な音楽家が作品化しています。R.シュトラウスはそれをニコラウス・レーナウ(ハンガリー出身でオーストリアで活動した詩人。1802~1850)の詩に基づいて書かれたのがこの交響詩です。 冒頭の爆発するようなメロディーからドン・ファンを表すテーマが理想の女性像を求めるように次々とメロディーが登場してきます。そのふたつの旋律との絡み合いからクライマックス―これは酒色にふけって自堕落な生活をしているドン・ジョヴァンニ表現していると思われます―それに飽き失望し熱が冷め、自滅していく・・・他の彼の作品でも何度も使われる手法ですが、盛大にオーケストラを鳴らした後に消入るように静かに曲を閉ます。 *この曲を静かに終わらせて「死」や「消滅」を意味するような方法が R=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」(初演1888年)や、 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(2曲と...

今週の1曲(18)~R.シュトラウス:管楽器のための交響曲「楽しい仕事場」

イメージ
今週も生誕150年の リヒャルト・シュトラウス の作品から 管楽器のための交響曲第2番 変ホ長調 「楽しい仕事場」 副題のような理想的な所があったらどんなにかいいかと思ってしまうのは横に置いておいて(^_^.) この作品は彼の晩年、そして第2次世界大戦中の1945年に書かれました。ちなみに第1番も当然あってこちらには「傷病兵の仕事場から」という標題がつけられています。 4つの楽章から出来ていて先週の小二重協奏曲と同様に大音量のオーケストラできき手を圧倒するといった作品ではなく、小編成(12本の木管楽器とホルン4本)のアンサンブルのための曲でモーツァルト時代のセレナーデとかディヴェルティメントのような雰囲気をもっています。 第1楽章のアレグロ・コンブリオでは別の作品のテーマにする予定だったといわれる素材が織り込まれていたり、どっかできいたようなメロディー(例えば「英雄の生涯」など)がきこえてきて滅法楽しめる楽章です。 第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエットとここではまさにR.シュトラウスが敬愛するモーツァルトへのオマージュを捧げているのだろうなぁ~と感じる優美な音楽です。 終楽章はアンダンテの導入からアレグロの主要部からなる演奏時間約40分のうち3分の1位を占めます(この楽章のみ最初第1楽章として構想され1943年作曲されたといわれています)暗い導入部は思わせぶりでその後には生き生きとした動きのある音楽がきこえてきます。 心身疲労や敗戦濃厚な空気により創作意欲が衰えつつあった時期の作品といわれていますが―といってもこの頃80歳を超えていたということを考えれば当然といえば当然ともいえますが―しかしこの作品をきいていると作曲・演奏する楽しみや喜びを決して無くしたわけではないと感じます。老人のような干からびた(失礼)音楽ではなくてツヤっぽさもあって、まだR.シュトラウスここにあり!と示しているようにも感じられます。 《Disc》 オーボエの名手、現在では指揮者・作曲家としても活動している ハインツ・ホリガー が ヨーロッパ室内管弦楽団の管楽メンバー と1993年に録音したものがとてもイイです。 当時若手奏者により結成されたオーケストラの仲間たちがまさに「楽しい仕事場」で音楽を奏でているゴキゲンな感じが伝わってきます。 ホリガーは指揮...

身辺雑記(番外編)~NHKドラマ「ロング・グットバイ」感想

イメージ
今日はクラッシク音楽ではなくてTVドラマを観ての感想です。 NHKドラマでアメリカの作家レイモンド・チャンドラーが書いたハードボイルド小説 「ロング・グットバイ(長いお別れ)」 をベースにその舞台を日本にしてアレンジを加えたドラマが始まりました(全5回シリーズ) 原作をハードボイルド小説にハマった20歳代に「マルタの鷹」(ダシール・ハメット著)と「深夜プラスワン」(ギャビン・ライアル著)と共に何度も読み返した作品なので興味深々に観ました(まだ時間の関係で第1回を観ての感想です) 1番感じたのはチャンドラーの気の利いた、またアイロニーに満ちたセリフや場面の演出に関心があったのですが、裏切られてしまいました。。。 ・フィリップ・マーロウが泥酔しているテリー・レノックスを「ダンサーズ」で目撃し自分の車に乗せる場面でその手伝いをしてくれた白服(ドアボーイ)が酔っ払いと関わるなんてもの好きな人間だと言われて 『そうやってこここまでのしあがったわけだ』 と言葉を返す所。                                     (村上春樹訳 ハードカバー版9ページ) ・マーロウとレノックスが親しくなり「ヴィクターズ」で飲み交わすようになってカクテルの「ギムレット」を飲んでいるときに 「本物のギムレット」 について語る場面  (同 28ページ) ・ 開店直後のBARの居心地の良さについて語るところ    (同 34ページ) (この意見は自分もそう思って仕事帰り開店直後のBARによってジン・アンド・イットやモルト・ウイスキー、もちろんギムレットも!飲んだことを思い出します) と、いったセリフ・場面が全て置き換えられていました―こういった場面に期待したのに(+_+)―このさき先にも名セリフや名シーンがたくさんあるのに心配です。。。 そして登場人物のキャラ設定もかなり変わっています。例えば原作では大手新聞社の代表でありながら写真も撮らせない、インタビューにも応えない―裏で社会を操る謎の人物「ハーラン・ポッター」を政界を目指す悪徳政治家風な感じにしていました。なんだか 「マーロウ対ポッター(政界・財界を象徴する人物としての」的 の NHK好みの 「社会派ドラマ」 にしてしまっているような雰囲気が残念です(第1回以降を観る意欲が無いのはそ...

今週の1曲(10)~ブラームス:大学祝典序曲

イメージ
新年度がスタートして新しい生活が始まるのにふさわしい(そうじゃない人ももちろん)音楽をご紹介したいと思います。 ブラームス 大学祝典序曲 作品80 ブラームスの作品をきくとほとんどがシブイ曲ばかりで生涯この人、笑ったことないんじゃないか?と思ってしまいますが、この作品は作曲者本人いわく「笑いの序曲」とのことで確かに彼には珍しく異常に喜びに満ち溢れている音楽です。 曲が書かれたのは1880年、前年の1879年にドイツ、ブレスラウ大学の名誉博士に選ばれたことへの返礼として作曲されました。しかし、その2年前の1877年にもイギリス、ケンブリッジ大学からも音楽博士にと申し出があったのですが授与式のために船旅をするのを嫌がってボツになっていたということでブラームスらしい面白いエピソードです。 曲の内容は4つのドイツの学生愛唱歌を基に自作のテーマを織りこまれた陽気でバンカラ(表現が古すぎ!)な学生たち―北杜 夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を連想し―目に浮かぶような音楽に思います。 開始はハ短調で―入学式で初めて門を入っていく様な不安な感じみたいなところから美しさを加えて、45小節から歓喜がやってくるという、それからの展開への期待を高めてくれます。また、この曲を初めてきく方でも157小節から^ファゴットで呈示される「新入生の歌」のメロディーはテレビとかラジオなどで使用されることもあるので(放送大学などのアカデミックな雰囲気を演出したい時のBGMに使用されます) 私はこの曲をきいているとマジメな人が羽目を外した時に変な面白さがあるのと同じ―ただし、周りの人間は反応に困りうつむいてしまう感じによく似ています。そんなことに我に返ったのかブラームス。同時期に双子のように「悲劇的序曲」作品81という曲を書いて、バランスをとっています。(ごまかして?)います。こちらは「大学祝典序曲」を「笑いの序曲」と呼んだのに対して「泣く序曲」と呼んだそうです。 《Disc》 演奏時間が10分程度なのでブラームスの交響曲のおまけのように入っていますが(演奏もそういったことが伝わってくるものがあります) 不思議なことに全交響曲をレパートリーにしていても「悲劇的序曲」は演奏するのに「大学祝典序曲」は取り上げない(ただ録音自体が残っていないという場合もあるかも知れませんが)指揮者...

今週の1曲(9)~シューベルト:交響曲第6番

イメージ
シューベルト が残したシンフォニーは未完や断片を含めると10曲を超えるらしいですが、現在残っているのは完成した7曲と「未完成」といわれる1曲(でも充分に完成品といえる作品です)そしてよく演奏会などで耳するのはほとんど第7(8)番「未完成」と第8(9)番「ザ・グレート」の2曲ばっかり(10歩譲ってあとは第4番「悲劇的」と第5番くらいカナ?) なかなか他のシンフォニーはきく事はないですが魅力のある部分もあります。 今回紹介するのはその中から 交響曲第6番ハ長調D.589 です。第8(9)番「ザ・グレート」が「大ハ長調」という別称があるのに対してこの曲は「Litte C mejor」=「小ハ長調」と呼ばれることもあります。 曲はシューベルト20歳の1817年秋に着手され翌年2月に完成しました。ちょうどこの頃は父親の勤務先、ロッサウという場所で助教員の仕事をしていましたが1818年の夏にはその職を辞めてしまいます。 この時期にこの曲以外に目立った作品が無いのはそういった落ち着かない生活が関係しているかもしれません―父親の許でそれなりに安定した生活をしつつも将来への夢や希望を持った青年シューベルトは悶々としていたと想像できます。しかし、このシンフォニーからは前向きでアグレッシブな音楽があちこちにきこえてきます。 第1楽章は重厚なアダージョの序奏に始まり、きびきびとしたアレグレットの主部に入っていきます。目立つのは木管楽器の活躍です。終止部にかけてのクレッシェンドは当時ウィーンで大人気のロッシーニを思い浮かべます。 第2楽章アンダンテはややハイドン流の香りが残りつつもダイナミックなところは彼の若さが溢れているようです。 第3楽章。ここで初めてシューベルトはメヌエットではなくてスケルツォにしました(それまでの5曲にも既にスケルツォ的性格をもっていましたが)こういったことも野心的な感じがします。そしてこの楽章はベートーヴェンの交響曲第7番第3楽章スケルツォへの共通があるように思います。特にトリオの部分なんかは似ていると言いたいくらいです。 第4楽章アレグロ・モデラート。強弱の対比を繰り返しながら発展して曲が盛り上がっていく面白い音楽です。この手法・リズムは「ザ・グレート」にも密かに通じているようにチョット思いました。 私がこの曲に出会ったのは中学3年の春でF...

ありがとう保田紀子オルガンコンサートの開催

イメージ
地元のザ・ハーモニーホール(松本市島内)で専属オルガニストを務められた 保田紀子さん が3月末で退任するそうで、その記念に 「ありがとう保田紀子オルガンリサイタル」 が開催されるためその申し込みをしていましたが、先日入場整理券が返信されてきました。 ・・・と書いていながら大変申し訳ないことですが今まで保田紀子さんの演奏はきいた事が無く、ホールのオルガンをきいたのは20年近く前にエドガー・クラップというオルガニストでのただ1回のみ。また、普段オルガン曲もほとんどききません(あのぶ厚い響きを自宅で再生することは難しいこともあるので) この機会にしっかりきいてきたいと思います。 感想は別にアップする予定です。 ○プログラム J.S.バッハ:「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」BWV.659・660・661        パッサカリアハ短調BWV.582 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲 ロ短調 作品18 リスト:バッハのカンタータ「泣き、嘆き、憂い、おののき」と      ロ短調ミサ曲「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲                                                 ...etc

身辺雑記 都響スペシャル インバル、マーラー交響曲第10番

イメージ
先日アップしたインバル&都響のマーラー交響曲第9番をききに行った時、会場でもらったチラシに今度は 第10番(クック版) のコンサートがあることを知り、まさか10番を実演できけるとは!と驚きききに行きたいと思い購入したチケットが届きました。 完売する前にと即決で買ってしまったためにまだ妻に言ってありません(-_-;) カード決済日までにはなんとかご機嫌をとっておかないことには。。。。(>_<)。。。怖い。。。でも、今から楽しみ。

モローとルオー展

イメージ
フランスの画家 ギュスターヴ・モロー (1826~1898)とその愛弟子 ジョルジュ・ルオー (1871~1958)の絵画展に出かけました(於:松本市美術館 企画展示室) 精緻な造りと色に引き込まれました。また、ひとつひとつの作品がそれぞれ個性的で明るい色調(青色)のものや黒や茶色を使った暗いものあったりと興味深く観ていきました。そして今回の企画展はモローと深い師弟関係にあったルオーの作品もうまく組み合わされ展示されていたので、題材・構図・色使いなどを見比べると、お互いがリスペクトし合い、師の意思を継いだ弟子が大きな戦争を2度経てどのように変わっていったかを知ることができました。 他にもモローの下絵といわれる油絵がとても抽象的で人物や雲、エンジェルが宙を舞っている・・・など観る人それぞれがいろいろ想像できる作品があってとても印象深かったです。 また、両者のイエス・キリストを題材にした作品やモローの「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」などものすごい吸引力にその場面に入り込みました。 帰りは美術館の近所にある行きつけのディスク・ショップに寄って以下のCDを買って帰りました。 ・マーラー:交響曲第10番(クック版)  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(録音:1992年 DENON) ・リスト:パガニーニ・エチュード(初版&改訂版 完全版)  ピアノ:大井 和郎(録音:1999年 徳間ジャパン) ・パガニーニ:24のカプリース  ヴァイオリン:マイケル・レビン(録音:1958年 EMI)      

インバル/東京都交響楽団 [新]マーラー・ツィクルスⅣから

イメージ
東京芸術劇場リニューアル記念 エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団  マーラー 交響曲第9番 ニ長調 於:2014年3月15日 東京芸術劇場 地方からわざわざ出掛けた価値のある演奏会でした。 私がきいたのは3階席でしたが冒頭、ホルン、チェロそしてハープで紡ぎだされる1音1音がこちらにもクッキリときこえてきました。そこへ第1主題が入ってくると湖上をボートに乗って漕ぎ出すみたいになめらかで清らかな響きでした(交響曲第7番の第1楽章序奏のテーマのインスピレーションを受けたのがこうゆうシチュエーションだったと作曲者本人が奥さんのアルマに伝えていますが、この交響曲も彼の生活環境を結びつけるものが感じられます) 曲が展開部に入ると会場に打ち鳴らされるシンバルや打楽器による音のパワーもきき手に恐れや怯えといったものを与えます。この部分から後半部にかけて頭に浮かんでくるのは船が沈没して海に投げ出された乗員・乗客が漂い、助けを求め手を上げもがきながら波に呑み込まれていっていってします姿です。 第2楽章はオーケストラの響きにキレがあり遅いところから速くなったり、強奏される時のレスポンスが良くて場面展開を見事に切替えていきます。第3楽章も同様で、対位法的な箇所ではマーラーの作曲技法の円熟をきき手にアピールし、442小節から頂点を迎える音楽は熟れた果実のように後は腐敗していくように―それをわかっていながら目を背け狂乱しおぞましい世界が繰り広げられます(昨日と同じ今日が来てくれることを当たり前としているかのように・・・)インバルの指揮は音楽に没入しすぎないで的確なコントロールをしているように感じました。それが「音楽に入っていかない」というわけではないのが彼のマーラーに特徴的な冷静さと熱気が融合しています。 第4楽章ではそういった持ち味を存分にきけました。 一回きりのナマ演奏なら情緒たっぷりに乗り切ってしまうことも可能な音楽をハイドンが種をまき、ベートーヴェンが地位を確定させ、続くロマン派のブラームスなどが力を注ぎブルックナー、マーラーにより「ソナタ形式」を金科玉条として特にドイツ、オーストリア音楽圏で恐竜のように進化した「シンフォニー」というジャンル。それがこの交響曲では「徹底的に」朽ちて滅びていく姿としても解釈できるような演奏と思いました。それが宗...

今週の1曲(8)~ポンキエルリ:「時の踊り」

イメージ
今週、家族と共に東京ディズニーリゾートへ出掛けました。 そこで「ディズニー」―「クラシック音楽」―「ファンタジア」というシンプルかつベターなアイデアで1曲。   「ファンタジア」といえばディズニーの稼ぎ頭ミッキー・マウスが登場するデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」が有名ですが、私個人として面白かったのは ポンキエルリの 「時の踊り」 をモチーフにしたあまり運動が得意そうじゃないカバとかゾウとかも出て来てバレエを踊るストーリーがコミカルな印象に残っています。 「時の踊り」はイタリアの アミルカーレ・ポンキエルリ (1834~1886)が1876年に初演されたオペラ「ラ・ショコンダ」の劇中音楽です。彼はこの作品で成功するまで不遇であったそうですが、悲しいことにこれ以降は創作力が低下してしまったとのこです。とはいいながらも今日「時の踊り」のメロディーを耳にすることはあっても「ラ・ショコンダ」の舞台に巡り合う機会はまれで、私も接したことはありません。 オペラのストーリを説明していたら長くなってしまうので超簡単にすると、17世紀のヴェネツィアを舞台にした歌姫「ショコンダ」の悲劇で原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲に基づいているそうです(本当に簡単ですみません)なかなか血なまぐさそうでマスカーニやベッリーニあたりのオペラまでが守備範囲の方なら十分楽しめそうな内容です。 「時の踊り」は第3幕第2場で演奏されるバレエ音楽ですが初演当時オペラ上演の際にはバレエの場面を入れるのが習慣というか鑑賞とされていたためストーリー展開とはほとんど無関係です。オペラ本編とは関係無い音楽で後世に名前が残っているのは皮肉なポンキエルリ。。。 曲は「夜明けの時」―「昼間の時の入場」―「昼の時の踊り」―「夕方の時の入場」―「フィナーレ」という1日の時間経過を表現しているそうですがそんなことを考えずにきいても耳にすぐ耳に入ってくるメロディーに彩られています。 《Disc》 やっぱりこの種の曲はカラヤンかオーマンディか?しかし、あまりにもメジャーな選曲なので演奏はチョットひねって私の偏愛指揮者 フェレンツ・フリッチャイ (1914~1963)で。とても小品を手掛けているとは思えないくらい力が入っていて、特にフィナーレにかけての一心不乱の音楽への没入は「これじゃやっぱり早死にしち...

今週の1曲(7)~ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲

イメージ
今週ご紹介するのはチェコの作曲家 アントニン・ドヴォルザーク (1841~1904)の ピアノ三重奏曲第3番ヘ短調作品65 です。 この組み合わせでは次の第4番ホ短調作品90が「ドゥムキー」という副題もついていて有名ですが、それがボヘミアの民族色を前面に押し出した作品に対してこちらの第3番は彼の才能を見抜き世に紹介してくれたブラームスからの影響やリスペクトがあるように思われます。 ブラームスは室内楽の大家でもあり、ピアノ・トリオも書いています。当然、ドヴォルザークも感化されていたと思われ、2曲のピアノ五重奏曲や14曲の弦楽四重奏曲などにも名作があります。 この曲は1843年42歳の時に作曲後に改訂を施され同年に初演されました。前年に母親を失った悲しみの影があるといわれます。 第1楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ。冒頭のヴァイオリンが高音で悲痛なメロディーを奏し、そこへ慰めるようにピアノが入ってきてきますが一緒になって泣き出してチェロも加わって嘆く―しかしそれでも曲の構成が崩れません。 第2楽章アレグレット・グラツィオーソはスケルツォ風の動きのある音楽で、弦とピアノのリズミカルで活発で小気味よいので雪原をそりで駆け抜けていくみたいです。 第3楽章ポコ・アダージョは美しいメロディーが歌い上げられ、この全体的にピーンと張りつめた感じのある曲で唯一ゆったりと音楽に浸れる場所です。 第4楽章アレグロ・コン・ブリオ。冒頭から荒々しく、熱っぽい民族舞曲のリズムに乗って音楽が進みます。そこに力強さ伝わってきてきいているこちらも熱くなります。 《DISC》 やはり「定盤」 スーク・トリオ (ピアノ:ヤン・パネンカ、ヴァイオリン:ヨゼフ・スーク、チェロ:ヨゼフ・フッフロ)がいいと思いますが、久しぶりに改めてきき直して感じたのは曲がそうなのか圧倒的にスークのヴァイオリンが主導しピアノとチェロを従属している印象を受け、曲が持っている荒々しさ、粗野な面を整えてきかせる演奏と思いました。

今週の1曲(6)~シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

イメージ
私の住んでいる地域はとてつもなく大雪が降って昨日から雪かきばっかりです。。。2週間続けての雪かきにウンザリです。。。 今週ご紹介する曲はベートーヴェン、ブラームス、メンデスルゾーン、チャイコフスキーと並び有名な シベリウスのヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47 です。 改めて説明するまでもないくらいですが、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウス(1865~1957)が1903年に作曲し、翌年2月に初演されますが不評に終わり大幅な改訂を施して1905年にヨーゼフ・ヨアヒムのヴァイオリン、R.シュトラウスの指揮で行われてから次第に評価が変わり、現在では交響曲や交響詩「フィンランディア」などと共に彼の代表作ひとつになっています。15歳でヴァイオリン奏者を目指したことからヴァイオリンにしっかり知識があったので高い技術力が要求されます。 曲は典型的な協奏曲らしく「速い・遅い・速い」の3つの楽章からなり、第1楽章アレグロ・モデラートは冒頭から冷たいヴァイオリン・ソロから始まります。憂鬱な感じも受けますが技巧的で華麗なパッセージもあり、通常は曲の終盤で盛り上がってきたところにカデンツァが置かれますがここでは曲の中間で登場します。この楽章だけでも十分ずっしりときます。 第2楽章アダージョ・ディ・モルトは動きの少ないシンプルな音楽。個性的な前後の楽章のための間奏曲といった方がいいかもしれません。でもソリストには気の抜けない箇所もあります。 第3楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポはなんといっても始まりの独特なリズムからヴァイオリン・ソロが入ってくるところでしょう。その後もソロはきき手の期待に応えるように高度な技をたっぷりきかせてくれます。 私はこの曲全体に女性がちょっとヒステリー気味に「ねえ、私の話をきいてよ!」と語気を荒げたり、気を惹くために色々あの手この手を弄しているような場面があるように思います。 このコンチェルトは「女性奏者に名演が多い」という意見がありますがこういったことも影響しているのでは?と考えます。 《演奏DISC》 やっぱり先にも書いたようにセクハラ発言みたいになってしまって申し訳ないのですが女流奏者から― アンネ=ゾフィー・ムターがアンドレ・プレヴィン指揮ドレスデン・シュターツカペレ と共演したものはうねるようなヴァイオリン、怪しい音色といい...

今週の1曲(5)~ワルトトイフェル:ワルツ「スケートをする人々」

イメージ
今週はソチ・オリンピックが始まりました。そして、冬季オリンピックの人気競技といえばスキー&スケートですが、半ばこじつけで(笑)今さら改めてよく知られているこの曲をご紹介するのは気恥ずかしいのですが、セミ・クラシック定番の ワルトトイフェル の 『スケートをする人々(スケーターズ・ワルツ)』作品183 です。 エミール・ワルトトイフェエル(1837~1915)はストラスブールに生まれパリで活躍し、ワルツやポルカといったダンス音楽を中心に残しました。「スケートをする人々」の183番という作品番号が示すようにそれなりの数の作品を書いたようですが結果、現在まで知られているのは1882年に作曲されたこの曲の他にはワルツ「女学生」位です。というかその2曲のみといえ、私もそれ以外の作品は耳にしたことがありません。 しかしこの曲は昔はオーケストラ小品集といったようなレコードに録音されていたようで古くはトスカニーニそしてカラヤン、この手の作品集をたくさん残したオーマンディのものなどがあります。でも、ステレオの技術向上やデジタル・CD時代が到来するとブルックナーやマーラーのシンフォニーなどの大曲に駆逐され忘れ去られていきました。 曲は優美にして流麗で「スケートをする人々」というよりも白いヴェールをまとった女性が優雅に舞っている画が浮かびます。ドラマティックな展開するわけではなく約8分弱に渡り同じようなメロディーが繰り返され脳のヒダが「ベタッー」としてくる感じで、大曲もいいですが時々こういった曲をきいて耳をリフレッシュするのも面白いです。 《演奏ディスク》 やっぱり昔からきいている カラヤン とフィルハーモニア管弦楽団のものが無難でいいのでは? 彼の特徴である流麗なレガートがまさに”ベタッー”としている所なんかウマくハマっていているように思います。 *オペラ作曲家ジャコモ・マイヤベーアにもバレエ「スケートをする人々」という曲があるのですが(20年位前に確かジャン・マルティノン指揮イスラエル・フィルのCDを見かけたのですが購入し損なって廃盤になっているようです。きいた事もなければ曲の出典も分かりません。知っている方は教えて下さい。

今週の1曲(3)~ショパン:チェロ・ソナタ

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810~1849)の代表作といえばピアノ独奏曲が質・量ともに他分野を圧倒していますが、彼のラストコンサートでも演奏されたという唯一の  チェロ・ソナタト短調作品65  は長生きしなかった晩年らしい影がさして、カーブが連続した道のような曲想で特にというか、当然というかピアノ・パートにはテクニックが必要とされます。でも、彼の曲が好きな人は一回きけば気に入るのでは?と思います。 曲の成立には初演を担当し献呈もされた大親友オーギュスト・フランショームの存在があり、病気の悪化、ジョルジュ=サンドとの別れといった1845年から1847年に書かれています。4つの楽章から出来ており、第1楽章がアレグロ・モデラート、目標を明確に見いだせずにさまよっているみたいで、ちょっと私はショパンらしからぬと感じます(構成が貧弱とかという悪い意味ではなく) 次はスケルツォ、アレグロ・コン・ブリオの躍動的な第2楽章。シンプルな音楽なのですが両者の張り合うような緊張感が魅力です。 第3楽章はラルゴ。チェロとピアノのハーモニーがとても瞑想的にノクターン(夜想曲)を連想させます。そして、2つの楽章の絡み合いが男女のようです。 第4楽章フィナーレ、アレグロ―2つの楽器が対話を繰り返しながら盛り上がっていく終楽章。その中でも気品が香ってくる音楽になっています。 このソナタは上品でサロン音楽的なショパンの作風からすると異質なところを感じます。曲全体をなんというか「情念」みたいな影が覆い、私はあまり「作曲家がこうゆう心理状態だったから、こんな曲を書いた・・云々」の考えできく事はほとんどないのですが、ショパンが自身の病気(結核だったそうで、相当な偏見や扱いを受けたこともあるでしょう。。。)を呪い、その境遇にもがき苦しんでいる姿が伝わってくるようです。。 初演時には第1楽章を技術的な問題からという理由でカットしたそうですが、それだけでは無くてそういった心情告白みたいなものが赤裸々に出過ぎているように感じるこの楽章は演奏し、聴衆にきかせるのはちょっとシンドイと考慮したのではないでしょうか? でもそんな暗い影ばっかりではなくて終楽章のチェロとピアノの掛け合いをきくとフランショームという親友が病床のショパンを変わりなく見舞い、作曲の背中を押してくれたことへの感謝だと...

今週の1曲(2)~メンデルスゾーン:交響曲第1番

イメージ
・芸術家にとって「経済的に恵まれた生活環境」というのは創作活動へ多大な影響を与えるのでしょうか? ・ハングリー精神があった方が豊かな創造力や霊感の源になって芸術作品を後世に残すことが出来るのでしょうか? と冒頭から書いたのは本日ご紹介する作曲家、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809~1847)の作品をきく上で大いに関連する事じゃないかと思うのです。 伝記などを読むとバッハもモーツァルトもベートーヴェン、シューベルトも現在大作曲家と言われている人はいつも懐が寒い生活をしていたそうです。でも中には大金を手にしたヘンデル、ハイドン。そして生まれながらにしてお金持ちだったメンデルスゾーン!(ユダヤ人大富豪の家庭に生まれた彼は年少より勉強はもちろん、絵画・音楽など様々な英才教育を受けたとのこと) しかし、現在の音楽ファン、評論家の中での評価を見ると金持ち作曲家よりもビンボー作曲家の方が人気があるように思われます。それはなぜか?やっぱり「ハングリー精神」こそが創造源になっているからではないでしょうか?常に挑戦しようとするベートーヴェンのモットー「苦悩を通じて歓喜へ」の訴求力に比べて、そんなことを考えなくても生活が満たされてるメンデルスゾーンの作品はどれも美しく、耳あたりが良い、ベートーヴェンのように怒り、恐れ、苦しむといったものは全く感じられず、いわば「金持ちケンカせず」みたいな音楽になっていると思います。 その「チョー恵まれ人間」メンデルスゾーンが15歳の1824年に書いた 交響曲第1番ハ短調作品11 をご紹介します。彼のシンフォニーと言えば第4番「イタリア」、あと第3番「スコットランド」と第5番「宗教改革」あたりが演奏される機会も多いですが、第2番「賛歌」が声楽を含むカンタータ風の特殊な作品であることを除くと5曲あるシンフォニー中ほとんど耳にする機会が無いと思われます。 メンデルスゾーンは15歳で第1番を書く前に12曲の「弦楽によるシンフォニー」を作曲しており、この第1番には当初その第13番という番号が付けられていました。しかし、出版社がそれまで書かれていた12曲の「弦楽によるシンフォニー」は習作扱いとして発行しないでフルオーケストラで書かれたこの曲から「第1番」という番号が与えました。確かにそれまでの12曲がハイドン、モーツァルトの頃...